「生死」の日記一覧

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京アニ事件、生死を分けたもの

凶悪な事件も、1年も経ちコロナ等の話題が次々と続けば、忘却の彼方へと飛んでいきそうなこの頃である。 この事件でいろいろな話題があったが、あまり報じられていないことは、助かった人や亡くなった人の現場の状況や行動がどうであったかの情報である。 だいぶ昔、新宿西口バス放火事件があり、似たような状況は今後も起こりうる。そんな状況でも、命だけは助かりたいし、助かってほしい。 そのような意味で、助かっ…

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なぜ神から離れてしまったのか

ここ最近、福島智さんの本を読んで いろいろと考えさせられるのだが、 神を求める自分に気がついて、 そのことについてあれこれと考えている。 福島さんによると、 「宗教は人間の魂にとっての食べ物のようなもの」 で、必要だからこそ生まれてきたのだという。 つまり人間は自分たちを超える 大いなるものの存在を必要としているのではないか ということ。 「生きるということには怖れと不安がつきものです。 …

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生きるときは生き、 死ぬときが来たら死んでいく

自分は死ぬ身であり、 死んだら自分はいなくなる ということがわかると、 いつまでも生きていたい私たちは 絶望感に陥る。 じき死ぬのなら生きる意味はあるのか? なんのために生きるのか? と問う人もいることだろう。 この問いを過去おおくの人たちが持ち、 優れた文学や哲学を生み出してきた。 自分は人間関係の苦しみはあったが こうした実存的な問いを持ってはこなかった。 しかし、死後自分はいなくな…

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奥四万湖ドライブの途上にて

四万ブルーといわれる奥四万湖を観に ひとりドライブの途上にて、 思い浮かんだつぶやきのような・・ いままでここにいるのは当たり前に思っていた でも、 それはとんでもない間違いだった あと何年、いや何カ月ここにいられるのだろう 自分がこの世界の主人公とばかり思っていたけど、 私はあとわずかでこの世からいなくなる もう少しでこの世から消え去るのだ 私はあとからやってきて、 ちょ…

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すぐに忘れてしまう「死の領海」

そうだった・・ 私たちはいつも 「死の領海(さかい)」にいるのだった。 法句経6句 【「われらはここ死の領海(さかい)にあり」 道を異にする人々は このことわりを知らず このことわりを知る 人々にこそ かくていさかいは止まん】 このことをすぐに忘れて、 未来の心配、 過去の思い出や後悔、 怒りや争いごとに身を置いてしまう。 こんな風に、 あちこちへ彷徨ってしまうのは、 いつまでも命…

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いつも人生は真剣勝負

いつ死が訪れるかわからないと思うなら、 心配など未来を想定して行われることがらは すべて虚しくなる。 そんなに「死、死」といってばかりいて、 なおこさんは縁起でもない・・ と言われてしまいそうだが、 これは私たちの真実の姿なのだから仕方ない。 心配だけでなく、 未来を想定して行う事には 次のようなものもあるだろう。 自分の悪いところを直そうとする試み。 私は激しい嫉妬を直そうと一生懸命…

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生と死を離れ離れに見ていた

浄土真宗僧侶で仏教学者の楠恭さんは もっとも大切な事として、 生と死の一体性を取り上げている。 私たち凡夫の大きな誤りは、 生と死を離れ離れに見ていることだという。 そうした見方に立つから、 「死」は死んでから行くところになるのだと。 え、だって、そうでしょう? 死は生が終わっていくところなのではないですか? という声が聞こえてきそうだが、 この概念は誤っている、 それは私たち人間が勝手に…

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人の世のはかなさ いつかは死が来る

すぐ近所の近隣知人 私よりやや若い…。 7月に救急車で入院 私が2年前に入院した病院だった。 心臓の心筋炎だったとの話…3週間位入院して退院して来た。その後酒屋で酒を買う時に会ったが、もう心臓の方は良くなった様な話を聞いていたが…。 その後数週間経ってまた入院した様子。娘さんに聞いたら入院? …明日帰って来る…検査だから?…と聞いた。 それから確かに帰って来た様な声も聞こえた。 会えば挨拶か偶…

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長谷川ひろ子さんの「生死」

 昨日は、徒歩2分の医療クリニックで、長谷川ひろ子さん監督の「生死」という映画を見ました。全国を監督自身が映画を紹介しながらトークも交え、ピアノも演奏しながら回っておられるのです。昨日は、401回目。前日は同じ会場で400回目が公演されました。ある人は50回も見ておられます。この日も二度目以上の人が複数おられ、千葉からの人もありました。  彼女は、フリーアナウンサー、シンガーソングライター、そ…

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生きている今が輝いているとわからないことが

(自分の気づきです***) 死について考えていたら、 生きている今が輝いていることに気づかされた。 死んだら、 炭素や窒素、水素などの素材になって 周囲の世界へ散らばっていく。 生きている今も死んでも 仏さまの手の中にいるので、 安心しているのだけど、 それにしても、 生きているということは とてつもなくすごい事だ。 素材のままでもよかったのに 命を与えられて、 さらに 複雑極まりな…

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ここに落ち着いた

いろいろと遍歴してきたけど、 ここに落ち着いた。 いま生かされている世界。 家族とごはんを食べ、話をして、 お風呂に入り、眠りにつき、 買い物やご飯作り、 音楽を聴き、猫と遊び・・ 病気になって、老人になって、 やがて死ぬ・・・ こここそが自分の世界、 仏の世界。 ここよりほかに世界はない。

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仏が私となって生きている

生かされているというとき、 神とか阿弥陀など何か実体化した対象物があって、 それが自分を生かしてくれている というようなイメージになり、 何者かと自分との間に隙間ができてしまう。 それでも間違いではないと思うのだが、 (限界ある人間の見方には限界があるので そこ止まりであっても仕方ない) 楠恭さんの「妙好人を語る」を読んでいると、 そうしたイメージは壊される。 福井県の妙好人前川五郎松という…

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空だからこそ満たされる

日記をもう一つ🌺 生死一如は 「空」という言葉でも表現される。 「空」というと 私たちの概念では、 何もないという意味にとらえるがそうではなく、 実体化したものはないということだ。 逆説的だが、 「空」だからこそ満たされている。 わたしたちは 自分を満たすために あれやこれやと たくさんの満たされるアイテムを 自分に引き寄せているが、 そこにあるのは確固とした自分であり、 その自…

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生は、死という素材の海の中に存在している

生死一如、 生は、 死という素材の海の中に存在している。 これは絵空事でも空想話でも なんでもなく事実である。 物質は分子や原子でできているということは、 学校などの初歩的な科学で学んでいるし、 近年ではさらに、 極小の量子によって成り立っていることは 周知のとおりだ。 私の回りには 目には見えないけれど 分子や原子、素粒子などが満ち満ちている。 そこに、ある条件が加わると 物質となっ…

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ただ此処のみ

「妙好人を語る」(楠恭著)を読んでいたら 急にかきたくなって・・・ たくさん書いてしまったのだけどご容赦を~~ 🌺🌺 どこかにある桃源郷を夢みていたけど、 桃源郷はいま此処のことだった。 此処に生まれて 此処に生きて 此処に死んでゆく 此処が辛い世界にしか思えなかったのは 自分の分別心による錯覚だった。 満天の星、巨大なムーン まぶしい朝陽 西空に帰る鳥たちの群れ 小川に流れる雪解け…

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いのちの実相

きのうの日記の補足です。 少し前に生死一如について書いたときには、 まだ頭の考えだけのところ、 自分が生きている今の リアルな現実とはかけ離れた感があった。 (心臓が動いていることと、 動かしている何某かについては リアルだったが) きのうコタツで家族と団らんしているとき、 ふっと自分が包まれている空気に気がついた。 そのときはじめて、 死と共に生きていることがはっきりとわかった。 死は…