「ドナルド・キーン」の日記一覧

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漸草庵 星の旅と笛の調べ

草加市の奥の細道の風景地 「草加松原」に来ています。 今日は、応援している、能管、篠笛奏者、宮川悦子さんのコンサート。 彼女は、江戸時代より続く能楽会の名門、一噌流の一噌幸弘(いっそうゆきひろ)氏のお弟子さんです。 ここ、草加松原は、江戸時代の日光街道の面影を残す長い松並木があります。 「月日は百代の過客にして・・・」そうです、あの松尾芭蕉の奥の細道に出てくる場所です。 「奥の細道」には「…

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133、「私が日本人になった理由」(ドナルド・キーン著)は、英訳の「源氏物語」を読んだのがきっかけだった

『私が日本人になった理由 日本語に魅せられて』  ドナルド・キーン著 PHP研究所 2013年5月2日発行 ーブックオフで、著者が、ドナルド・キーンとあったので、購入して読んだ。氏が、日本語や日本文学に興味を持ったことが書いてあるのだろうと思って読み始めたが、銀閣寺、足利義政が日本文化の発祥の文化を創り出したなど、興味を引かれた。日記文化の世界における文化の特異性なども話していた。 ー日本人の美…

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ドナルド・キーンの「芥川龍之介論」読む

「日本文学史ー近代・現代篇三」(十六芥川龍之介) ドナルド・キーン著 徳岡孝夫訳 中公文庫 2011年11月25日発行 ー「新思潮」に「鼻」が出た時、夏目漱石は筆をとって、芥川宛ての手紙の中で「あなたのものは大変面白ひと思ひます 落ち着きがあってフザケていなくって自然そのままの可笑しみがおっとりと出ている所に上品な趣があります それから材料が非常に新しいのが目につきます 文章が要領を得てよく整…

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「日本文学史 近代・現代二 夏目漱石」(2)(ドナルド・キーン著)を読む

「日本文学史 夏目漱石」 ドナルド・キーン著 ー自己とその周囲を仮借なく描き出すことによって、「道草」は日本の近代小説を新しい芸術的完成の域まで引き上げるのに成功した。しかし、漱石は、そのために、一片のあたたかみさえない小説を書くという代償を払ったのである。  晩年の漢詩は、小説ほどの盛名を読者の間に獲得するには至らなかったが、  漢詩の中に、漱石はときとして、小説の中には見出しえなかった心の平…

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ドナルド・キーン著「日本文学史近代・現代篇2」を読む

「日本文学史ー近代・現代篇二」 ドナルド・キーン著 訳者 徳岡孝夫 中公文庫 2011年9月25日発行 ー11 自然主義 リアリズム文学の大前提であった「真実を書く」努力は、ここにおいて極端にまで進んで作者の懺悔となり、親友にさえ明かすことをためらうほどの秘密を読者大衆の眼前にさらけ出し、人生のあらゆる暗部を仮借ない誠実さをもって太陽の下に引き出す小説まで突き進んだ。 上田敏が入手したモーパッ…

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★ドナルド・キーンは右派がもてはやす浅薄な「日本スゴイ」じゃない! 日本愛ゆえに改憲、原発、東京五輪を批判していた

私が本当の、真(まこと)の日本人だと思っていた国籍は 日本人だが外国人のドナルド・キーンさんが残念ながら お亡くなりになりました。 以下 Lite-Ra の記事の一部を転載します。 ● 日本文学研究者のドナルド・キーン氏が24日、心不全で亡くなった。今回の訃報で多くのメディアがこぞってキーン氏の日本愛を報じている。「計り知れない日本への愛」「日本のことを考えない日はなかった」。  キー…

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ドナルド・キーン先生逝去される

24日 96才 わたしは著作を通じて、古典文学の楽しみに目を開かせていただいた。日本人の美意識について分かり易く、感動を与えてくれた。「世はさだめなきこそいみじけれ。(徒然草七段)」世は定めもない無常なのが良いのである。 について、「世界の文学で共通の問題である人生のはかなさが美にとって不可欠の要素であるという認識は、日本以外ののどこでもなされていなかった。」(古典の愉しみ)  私は、1人の読者…

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いく春

 つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、 心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 徒然草の冒頭である。尊敬する、ドナルド・キーン先生は何と訳しておられるのかと気になった。  What a strange,demented feeling it gives me when I realize I have spent whole days…

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難民受難

曇り。少々寒い。  昨夜の11時からNHKのETV特集でドナルド・キーンを取り上げた。311の震災後に日本に帰化し移住したのは、日本への共感と激励だという事だった。彼の日本とのかかわりを追っていったが、その最初の経験はアッツ島での通訳官としてで、それ以降日記文学を中心に日本理解を深めたという。ざっとした感想としては、日本人以上に日本を理解しているという事だった。ただし我々の根っ子にあるところの…