「安寧」の日記一覧

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差別心や怒りや嫉妬、怠惰に満ちている者に安寧は訪れない

先日、 日記にもらったコメントに腹を立てて やり取りの応酬をしてしまったのだが、 わかった‼ と滔々と述べるかたわらで こんなことばかりしている。 知識としてわかっただけで 身に染み入ってはいないというのが見てとれる。 話かわるのだが、 その日記で、 寂しさも嫉妬も自我の喚きからきていると述べたが、 付け加えると 今回の件のような「腹を立てる」といった…

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信仰とは

神さまアーメンとか あなたを信じます ナムアミダブツナムアミダブツ などとやるのが信仰と思っていた。 クリスチャン時代も一生懸命に 祈ったりアーメンなどと称えたりしていた。 しかし そうした傍らで 認めてもらいえない怒りや 誰かにこんなこと言われたやられたと 文句ばかりの日々。 30数年信仰していたが なぜ生きずらさから抜け出せなかったのか そのわけが今やっとわかった。 信仰などもともと…

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絶対肯定の世界

この世はすべて仏性の具現化した世界である。 石ころも花も木も草も牛も犬も 山も川も空も、 そして人間も みな天地いっぱいの命、仏性である。 みなそのままでいい。 如是--かくのごとし。 余語さんの言葉を借りると 「絶対肯定」の世界。 いいとか悪いとか 美しいとか醜いとかという評価はすべて 人間が勝手に作り上げたものだ。 仏教のこの世界観は そういえば聖書のヨブ記と一緒だと思った。 …

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不問になるには

お釈迦さまは 死後の世界や魂について、 不問(南直哉禅師)といった。 不問とは、 そのことについて考えることを やめるという事だ。 あるかないかわからないこと、 人間が知ることができないようなことについて、 問うたり考えたりすることで、 生きている時の大事な時間を無駄にしないように との戒めである。 こうした解釈でいいと思うのだが、 ただ、不問の意味するところは ただ単に「やめるように」と…