臨済宗円覚寺派の管長、横田南嶺老師は、ある対談で、 「さとりって何ですか?」 と問われて答えた。 「なにもさとるものなんてないと気がつくことがさとり。」 なんだか禅問答そのものだが、前半の、 「さとるもの」とは、まだ迷っている間の追い求めている夢。 自分の外にあって、獲得しようとしているまぼろし。 その夢なんてなかったのだと、しっかりわかることが さとりだと説明されている。 (小出遥子『教えて…
苦しみから抜け出すための ありとあらゆる方策が底をつき、 八方ふさがりで、 どうすることもできない悲しみに 打ちひしがれていた時、 鈴木大拙氏の「真宗入門」を手に取った。 「さとり」について 妙好人の庄松や フランスの思想家ヴォルテールの言葉を以て 説明がなされていたのだが、 その箇所を読んだとき 私の中から一切の力が抜けた。 以下に挙げてみる。 「ヴォルテールは、 『人を救うのは神の仕…
道元禅師『正法眼蔵 現成公案』にある言葉。 「迷を大悟するは諸仏なり。 悟に大迷なるは、衆生なり。」 この意味がわかった気がした。 この道元の言葉が、さまざまな解説書があるなかで、 どのように表現され翻訳されているか、調べてみた。 +++++++++++++++++++++ 1.「迷いを大悟するのは諸仏です。 悟りに大迷しているのが衆生です。」 玉城康四郎『日本の思想2 道元集』 …