連載:宗教3

横田南嶺老師のさとり (自分のためのメモ)

臨済宗円覚寺派の管長、横田南嶺老師は、ある対談で、
「さとりって何ですか?」
と問われて答えた。
「なにもさとるものなんてないと気がつくことがさとり。」

なんだか禅問答そのものだが、前半の、
「さとるもの」とは、まだ迷っている間の追い求めている夢。
自分の外にあって、獲得しようとしているまぼろし。
その夢なんてなかったのだと、しっかりわかることが
さとりだと説明されている。
(小出遥子『教えてお坊さん!「さとり」ってなんですか』より)

よく似た話でこんなものがあると思う。
ボクたちは、幸福はどこか外にあって、いま手にしていない、
いま不幸だと思って、