前日記に登場した、罪深い女のゆるしに関する考察です。 イエスにより、「あなたの罪は、ゆるされている」と明確に宣言されたわけですが、では「この女はいつどのようなことにより、罪がゆるされたのでしょうか。 素朴に考えるならば、誰の助けも借りずにたったひとりで信仰を得て、救われていると確信したはずです。イエスの言葉にも、「あなたの信仰があなたを救ったのだ。」とあります。 イエスにまみえる前に、ゆる…
毎日毎日嫌な事ばかりで、今までの人生も 考えただけでも全部全部忘れてしまいたい。 過去なんて全部消えてしまえ。 そう思っていたとしても、実際に忘れてしまって いいものでしょうか? 人は生きてたらいろいろあるものです。 でも、何年か経ったらどんな事でも大した事では 無かったって分かる日が来るから。 人間は、そうやって毎回自分に裏切られながら 生きて行くしかないのですよ。 本当…
妙好人の東政二さんの言葉を初めて聴いたとき、 しびれるような直感が走った記憶がある。 このひとはすごい、ほんものだ、と。 浄土真宗の信徒の方。 信仰に到達した人しか語れないことを、 さりげなく口にしている。 しかし回心したときのことを、 とくに語った記録はないようで、 おそらく一度も口にしなかったのだろうと思う。 妙好人の研究家楠恭氏が、ご自身の親戚の お寺に立ち寄ったときに目にした布教誌、…
信念の強さは、なにから生まれるかというと、 絶望の深さからであると思います。 これは信仰という場面でも同様であろうと思います。 頭だけで理解し世の中が分かったつもりになっていても、 ちょっとの荒波でその理解は簡単に崩れてしまう。 これまでの理解では、まったく太刀打ちできない ことに気がつくのです。 深い失望とともに。 こんな理解と失望を、なんどもなんども繰り返して、 イヤになるほど理解が崩れ…
ある方との会話で、久しぶりに(まじめに)絶望について語った。この年齢になると、そんな青臭い言葉はめったに口にしないものである。 そこで改めて思った。 絶望と、絶望的とは、まったくちがうことがらである。 それらを区別しなければならない。 置かれた状況が絶望的という言葉は、その状況の困難さを言うときに使われる。ほとんど希望が持てないかのようなひどく困難なことを表す。 いっぽう、絶望とは極めて主…