続・箱根駅伝(1826)
ここで一気に箱根駅伝の日記を書こうとした。ところがまたも途中で、すべて消えてしまうではないか。いくら復元を試みても、どうにもならない。 またまた諦めて、次を期することとした。 こんなひどいものに、何人もの方々がお読みくださったようだ、謹んでお詫び申し上げる。 それはそれとして、箱根駅伝は正月恒例のイベントであり、テレビ中継には、実に多くの方々が視聴しておられる。 wak…
ここで一気に箱根駅伝の日記を書こうとした。ところがまたも途中で、すべて消えてしまうではないか。いくら復元を試みても、どうにもならない。 またまた諦めて、次を期することとした。 こんなひどいものに、何人もの方々がお読みくださったようだ、謹んでお詫び申し上げる。 それはそれとして、箱根駅伝は正月恒例のイベントであり、テレビ中継には、実に多くの方々が視聴しておられる。 wak…
翌1月2日は朝から箱根の保養所でテレビで箱根駅伝を見た。13時くらいから歩いて保養所の近くの駅伝コースに行って、駅伝を見た。 大勢の人がいました。
現在、第9区。東京に帰って来て、娘のアパートで観てますが、駒沢、中央、青学の順。 青学進学しても出られんと思った有力選手がそれ以外の大学に進学して実力が均てん化したかな? 原監督、今回も優勝して、来年の100回大会で全国の大学に一部でも出場権を与えたいと提案したかったんじゃないかな。優勝すればより提案したかっただろうけど、提案するにしてもちょっと発言力弱くなったかな。
正月3ヶ日も早くも終わった。息子も、孫娘の夫も、今日からは、もう御用始めだ。呑気になどしていられない。 だが、年老いて、リタイアして久しいwakohは、そんなこともなく、呑気に日記などに向かわんとしている有様だ。 今は、正月恒例の行事ともいえる、箱根駅伝について、出場した大学のwakohとの関わり合いを主として、少しだけ述べてみようか。 歳時記のテーマですらある。2日の往路、3日の復…