「レッドパージ反対スト」の日記一覧

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昭和25年東大入学文一6Bの会①―wakohの交友の回顧(その17)(1727)

 五中・小石川高・紫水会での交友を顧みる時、次から次へといろいろな思い出が蘇ってきて、12回も費やしてしまった。直接の学校時代は1944年から1950年までの6年間だったが、卒業後現在に至るまでの72年間が、かなり密度の濃いものだったからであろう。  だが、この辺で一段落させて、次に移ってみようか。  wakohは、卒業するなり、東京大学教養学部文科一類に入学した。新制大学が発足して、まだ2年…

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『わが道』(16)東京大学教養学部文科一類入学の頃(1453)

中学・高校のことを書き出したら、それは在学中の6年間だけではなく、卒業後も何十年と続く交流につながっただけに、何時果てるともなく、延々と続きそうだ。すると、wakohの90年になんなんとする学徒としての人生の最初の20年間で滞ってしまいそうだ。これではいけないと、先に進むことにした。  wakohが都立小石川高校を卒業したのが1950年3月。その前に大学受験。そして東京大学教養学部文科一類に入学…

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大学教養学部時代のクラス会―昭和25年入学文一6Bクラス会(1012)

wakohが東大に入学したのは、戦後の窮乏生活からの復興未だ成らずの頃、1950年(昭和25年)だった。  徹底的に打ちのめされての、無条件降伏による終戦から、まだ4年半余りだった。  日本中、何処をとっても、政治・経済・社会・他、価値観の転換、旧体制の崩壊、新体制未だならず混沌の状況だった。  それは教育についても言える。学校教育の体制がすっかり変革し、旧制大学・高専・中学が廃止され、新制大学…

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第19回 我が家の履歴から19.大学入学の頃、社会情勢とも関連して

「我が家の履歴から」を書きかけてから、既に相当の時日が経過した。(その15)を書いたのは3月8日のことだった。「下山事件?」についてだった。その事件勃発時には、wakohは高3だった。その後相当期間、父は最も深い関係者の一人だった。そのため、新聞記者の不意の来訪など、後を絶たず、受験勉強に落ち着いて勤しみ励むどころではなかった。  当時は塾などは一般的ではなく、自分で勉強するより仕方がなかった…