「戦死した叔父」の日記一覧

会員以外にも公開

今日は祖父母と叔父さんの法要をします

 3月は3日が祖父の命日で、31日は祖母の命日です。 それで昨年の10月2日が命日だった22歳で戦死された父の弟の叔父さんの81回忌を含めて、祖父の76回忌祖母の67回忌とまとめての法要を菩提寺に依頼しました。  こんなご時世なので妻と二人だけで供養しようと思います。自分もこの先どうなるか判らないので出来るうちにお礼の法要を依頼しました。私が生まれたのは戦時下の昭和19年2月でした。すでに、叔父…

会員以外にも公開

いまだに残る疑問;戦死した叔父の遺言書

 このところクレソンを中心に柑橘類などを2か所に少しずつ収穫したり出荷する日が続いている。ここ3日ほど冷え込みが厳しくて氷も張り、冬本番という感じです。  昨日は本年最後の靖国神社の本殿参拝に行く、14時40分からの参拝者は自分を含めて3名だった。  23歳の誕生日を前に昭和16年10月2日に戦死されたので80年が経過した。靖国神社の祀られている300万人猶予の1人として、遺族は名前を呼んで本殿…

会員以外にも公開

鄭州(ていしゅう)の水害:ああ大黄河

 昨日も朝・午前中・午後と合計で6時間ほどブルーベリージムで摘み取り運動する。暑さが戻ってきたのでそれなりにやり方を工夫した。出荷したものはほぼ完売でした。  さて、かなりの中国通でも鄭州の水害について知っている方は少ないのではないか。この夏の豪雨のために河南省の省都(人口約1000万人)では道路のトンネルや地下鉄内に水が流れ込み閉じ込められて水死した人が多く出たようです。  想えば昭和10年代…

会員以外にも公開

戦死された叔父の後日談;現在100歳

 昭和16年10月2日に22歳で戦死された叔父さんは1階級特進で少尉となり、葬儀は自宅だが市葬儀に準ずるもので驚くほどの弔問客だったようです。祖父は墓地に叔父の単独の墓碑 陸軍少尉小田原三郎の墓 を建立して供養しました。もちろん、靖国神社には泊りがけで合同慰霊祭が陸軍大臣から招集され祖父母揃って行かれたようです。当時の状況としては地方都市の半英雄扱いだったようです。  遺族会も父の存命中は入会し…

会員以外にも公開

戦死した叔父の遺言:その2-驚くべき事実

 今朝も4時から行動を開始、5時半から早くも陽射しが強く暑さの増した中で2時間摘み取りをして、ブルーベリー35パックほかを直売所に出してきた。お盆の商戦もあと3日ほどなので何とか頑張ろうと思う。  さて、戦死された22歳の叔父さんの遺言書であるが、昨日その1で紹介したものは昭和16年9月3日であった。多分、22歳の青年が遺言を書くことなどあまり想定できないので、とりあえず思いつくことを書いたよ…