「地獄」の日記一覧

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イエスの語ったことばから (自分のためのメモ)

お気に入りさんが、キリスト教の救いについての日記を書いていた。キリスト教は、広く万人を救うという教えでなく、条件付きの救いを説く宗教なのだと。 https://smcb.jp/diaries/7856094 具体的にいうならば、核心的な部分とはこのようなことである。 洗礼を受けて信仰に入った者は天国が約束されるが、そうでないものは地獄へ落ちる、という教えである。 ※※※ キリスト教信者では…

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初冬を迎える富士山の思い出

時をさかのぼること今から30年 1988年11月某日 我は、富士山の西側に位置し 静岡県富士宮市にある 管理者養成学校に居たのである これは サラリーマン、官公庁に勤める 管理職をイチから叩き上げる訓練組織 泣く子も黙る 「13日間地獄の訓練」に参加したのである。 いや 参加させられた苦い思い出なのである。 入校式を終え 即、400文字に及ぶ 「行動力基本動作十ヶ条」の丸暗記 4時間後…

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昨日も快晴で別府観光

まず、煮えたぎる温泉が湧きだしている池をいくつか訪れる地獄巡りをした。池毎に湯の色が違い、血の池地獄と呼ばれる赤もあれば、泥をシチューのように煮込んでいるような池、コバルトブルーの鮮やかさに目を奪われる池もあった。 次に別府ロープウェイに乗って鶴見岳(1375m)に登った。もう下から自力で登る気力も体力も残っていなかったので、普通の旅行客としてロープウェイを利用したが、山頂駅から実際の頂上まで…

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復讐としての地獄なのか (自分のためのメモ)

キリスト教の教えを聞くたびに、いつも思うことがある。 それは地獄に関することがらだ。 イエスの磔刑により人の原罪が精算された、つまり贖罪が成し遂げられたとする。これはイエスが神の子であることを前提にしている。信仰はこのことを信じることに他ならない。 やがてくる審判の日に、天から降りてくるイエスによって、不信のものは裁かれ、永劫の地獄の責めへ落とされる。イエスは厳格な裁判官であり、不信のものた…

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私の魂は地獄に落ちていた。

3月下旬に母の癌が見つかって 自分の心の整理の方向が 自分の心が楽な方に向かい 「母は90歳で高齢だからもしもの事があっても 当然だ!」 「腎臓癌は壊れやすいから  出血は止められないから    出血多量で意識がモウロウとするから  通常の癌で痩せ細って  苦しみぬくより幸せかも知れない」 との思いに支配されて来て 9月始めに  心が冷たいのに気が付いた 自分の魂を見ると 金色の鎧…

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室内特訓 (犬には厳しく!笑)

この猛暑 犬の散歩 ムリなときは、中止しています 近くに土の公園がありますが、 そこに行くまでがアスファルト 灼熱ですから体感50度にはなるでしょう。 とくに 胴がながく、足短いほうは (つまりは、ダックス) 体形的に熱が直撃です (体形によっての影響、 人間の場合はあるんでしょうか) そこで 室内での運動、トレーニング 鬼コーチとなり、 きびしくやっています。一応 自称 犬の訓練…

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プロ野球ドキュメント! 笑っちまう!

松井稼頭央、谷夫妻 まじ笑う! 地獄? 2憶とかもらってて? 笑える! そういうの 地獄っていわないんだよね。 だって、今現在裕福に暮らしてんじゃない! あほ!

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魂のことについて (自分のためのメモ)

前の日記にて、死後の世界のことは基本的にわからないという立場のことを書いた。少し補足しておきたい。 (とてもしつこい文章なので興味のない方はスルーしてください) 「死んだら地獄へ行く」とはよくいわれる事柄だ。子供のしつけの一環でこのような言説が叩き込まれることも多いと想像している。子供の頃は批判することなく、なんとなく信じてしまっていて、大人になることもあると思われる。 あの有名な白隠禅師も、…

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まさに地獄

昨日の朝は寒かった。 冷たい雨に服は濡たまま、電車の中は 冷え切っていて次第に腹に痛みが…。 電車はのろのろ運転している。 動かなくなったら怖いので途中下車した。 腹痛が治まって、来た電車に乗ろうと ホームへ行くと人で溢れている。 電車の扉が開いて乗ろうとするが入れない。 やっと入ったものの扉が閉まらないらしく なかなか発車しない。 息をするのがやっとくらいの隙間が あるだけでまったく身動き…

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キリスト教に思うこと(自分のためのメモ)

ある本に、日本にキリスト教が広まらない理由についての 考察がなされていた。むかし宣教師たちが江戸時代の日本に やってきて布教活動をするが、なかなか受け入れられない。 その理由は、最後の審判についてであると説明されていて、 なるほどと感じた。 当時の日本人は、キリスト教の教えについては理解できるが、 先祖に対するキリスト教の視点はどうにも受け入れることが できなかったとある。 日本人は仏教的な思…