さんが書いた連載家族の日記一覧

会員以外にも公開

江戸川乱歩と父―その1・父の生い立ちの中から(1217)

比較的最近、wakohは「3代に亘る交流:佐藤春夫と父・他」(1204)というタイトルの日記を記した。その発端となったのは、かつての目白・下落合の我が家がアダチ版画研究所となり、北斎などの版画の修復・複製に関わる番組が放映され、それを契機に、1937年我が家の新築の頃の家族写真を探し出して掲載したことにある。そこには、それまで一度として日記に登場したことはなかった祖父の姿もあった。祖父は明治初期…

会員以外にも公開

荊妻の誕生日に(1216)

自分の妻のことは何と言ったらよいのか。普段、いわば習慣的に家内と書いてきたようだ。  だが、念のために辞書を引いてみると、『広辞苑』では、 ①一家の内。また、家族。②他人に対し、自分の妻を言う語。 とある。  次に、『新明解国語辞典』では、その家で生活する人達(全員)[狭義では、主人の妻(の謙称)]とある。  別にたいして気にもせずに、『広辞苑』の②の意味位のつもりで使っていた。  普段あまり…

会員以外にも公開

三代に亘る交流―佐藤春夫と父・他(1204)

こんなタイトルをご覧になっても、一体何の事かと訝しく思われたり、ないしはスルーされることであろう。  だが、前の前の日記1202では、「一枚の家族写真から」という題で、wakohの祖父母や大叔父夫妻を含む家族写真を掲載した。1938年(昭和13年)正月であった。  それまで、ここでの日記1200篇の中で祖父の写真を掲載したことは一度もなかったはずである。  だが、wakohにとっては、祖父はやは…

会員以外にも公開

それから28年後―目白・下落合の家での最後の家族写真(1203)

われながら、思いもかけず、目白・下落合に両親の建てた家のことを記し、またその最初の頃の家族写真を探し出した。  前の日記に記したように、両親は思い切りよく1966年その家を処分した。両親を中心にした親族の集い「ちどり会」は、毎年、正月と5月5日には、開催されることになっていた。その一環でもあり、目白・下落合の家での最後の集いが持たれたのは1966年(昭和41年)5月5日だった。  その時にも、直…

会員以外にも公開

一枚の家族写真から(1202)

こんな写真など、大抵の方は見たくもないであろう。お好きなように、ご勝手に。というくらいのものであろう。  だが、実は、wakohはこんな写真を懸命に探していたのだった。  何千枚とある写真は、殆ど手つかずで何箱にも入って詰め込まれたままの状態になっている。何とまた整理の悪い事か。かつては、ある程度はアルバムに保存していた時期もなかったわけではないのだが。何時かしら、その整理もしなくてはと思いつつ…

会員以外にも公開

写楽・北斎・版画―かつての我が家(1201)

奇妙なタイトルを掲げた。  実は、もう日が変わるところだが、9月1日晩の8時から、NHK Eテレで、日曜美術館(再)謎の絵師・写楽談議!という番組があった。wakohはその番組を別に観ようとしていたわけではなかった。写楽に特に惹かれていたわけでもなければ、版画に熱を入れているわけでもなかった。  それどころか、家内が倒れてからは、それまで家事など何一つとして手伝ったことすらなかったwakohが必…

会員以外にも公開

親族による米寿の小宴(1177)

つい3日前には、5月から行きかけているデイサービスで、思いもかけぬ米寿の祝福を受けた。まだ殆ど知らない方々ばかりの職員と利用者とからだった。それはそれで有り難いことだった。  そして今日6月9日の誕生日を迎えた。今度は、子どもや孫たちが、前々から立てていた計画に従ってだった。  日曜日でもあり、6月の大安吉日と言うだけあって、会場の東京会館は結婚式やいろいろな会合でラッシュの状態だ。よくぞ個室を…

会員以外にも公開

キルトのタペストリー(1171)

こんなタイトルで日記を書いたことは未だかつてなかった。それなら何故、今になって。  実は、娘はキルトに凝っている。それも、主として大型のタペストリーだ。先生について習いながら、今までにもう何十枚も造り上げているのではなかろうか。  家内は造りはしないけれど、その作品を観るのは大好きだ。だから、3年4ヶ月前になろうか、娘と東京ドームでの国際キルトフェスティバルに出掛けた。そこでのことだった。突如…

会員以外にも公開

兄の死―訃報・通夜・葬儀・告別式(1141)

3月19日の晩のことだった。兄の死去の報が入った。いくつかの障害を負い、老人ホームに入居できていた。ある程度安定しているかに思われていただけに、矢張りショックだった。急変したもののようだ。天命と受け容れる以外の術はなかった。  その兄は、wakohの7人兄弟の上から3番目、次男だった。長兄が敗戦の直前に海軍航空特別攻撃隊員として、豊かな素質に恵まれながら戦死し、また姉はもう十数年前に死去したので…

会員以外にも公開

アマリリスは一休み 色鉛筆の梅の花など(1134)

wakohの日記と言えば、ここ数回は、専らアマリリスのことばかりだった。それだけ、wakohの行動範囲がすっかり縮まってしまい、そういうごく限られた生活空間の中で、生きていることの表れでもあるのだろうか。  それにしても、ここ数日のアマリリスの花模様は、wakohにとっては、一つの楽しみの種だった。  だが、ここで一息ついてみようか。というのは、ここにきて、アマリリスのその後は大分収まってしまっ…

会員以外にも公開

孫娘の結婚―東京としては大雪との警報の中で(1116)

今年はどうも気候がおかしい。もう4月の陽気だと言われたかと思ったら、今度は史上最強の寒波の襲来で真冬に逆戻りするとか。こればかりはどうすることも出来ない。なすがままに任せるしかない。  そんな不確定な天候の中で、2月9日、孫娘の結婚式・結婚披露宴の日が到来した。待ったなしだ。予報の外れることを心待ちしながら。  東京都区内では、雪が5センチも積もれば、大雪と騒がれる。事実、交通事故なども多発する…

会員以外にも公開

家内の誕生日―平穏でありたいのに、貴ノ岩民事訴訟との報(1066)

wakohは自分の誕生日のことは何度もこの「趣味人倶楽部」での日記に記しているけれども、家内の誕生日のことなどは恐らく全く書いたことはなかったのではなかろうか。  結婚からは60年余。その間、けんかなどはしたことがないのではなかろうか。wakohはちょっとしたことでも直ぐに怒ったり、不機嫌になったりするのだが、その点家内の方は発火点が高いのか、上手く対処する。そのうち、wakohの方は一体何で怒…

会員以外にも公開

猛暑の中で聴くあるニュース(1042)

暑い日が今もなお続く。家の中でエアコンをつけていれば、何と言うことはないけれど、一旦家の外に出ようものなら、たちどころに熱気に包まれる。  そんな具合で、家の中で過ごしていた。偶々夕刊に眼をやった。顔写真入りで、高裁長官の人事が出ていた。  「名古屋高裁長官に綿引氏」という見出しで。 姪(妹の長女)の綿引万里子が札幌高裁長官をしていることは知っていた。だが、その後どうなっているのかなど一切何も知…

会員以外にも公開

満87歳の誕生日に(1023)

wakohは今日6月9日が誕生日だ。数え年では、88歳などと称していたが、満で87歳となってしまった。よくも生き永らえてきたものだと、些かの感慨はある。  3人の子どもは、それぞれ忙しくしているのだけれども、土曜日と言うことで遣り繰りして集まってくれた。そのうち2人の配偶者と、一人の孫娘を加え、家内ともどもわずか8人ではあったが、それでも小さな集いをすることが出来た。  つい先月には、結婚60周…

会員以外にも公開

娘の一刺し と 思いがけぬ招待(1011)

恐らく訳のわからないタイトルだろう。突然そんなタイトルが思い浮かんだ。  wakohには3人の子どもがいることを、どこかで書いたことはあるかもしれない。大抵の方にとってはそんなことはどうでもよいことだろう。またプライバシーに関わることかもしれない。  娘が一番上だ。一姫二太郎だ。年老いた両親を慮っていてくれるのは、痛いほど分かる。  だから時々、手伝いに来てくれたりもする。万事スローモーション…

会員以外にも公開

今日が結婚60周年とは(1008)

wakoh達が結婚したのは1958年5月10日だった。  それからすれば、何と今日はその60周年の日にあたる。  結婚25周年を銀婚式で祝い、結婚50周年を金婚式で祝するというのは、よく知られていることだけれども、60周年となるとそれほどは一般的ではないのかもしれない。  ものの本には、ダイアモンド婚などと書いてあるようだ。  我ながら、よく60周年まで迎えることが出来たかと、些かの思いはなし…

会員以外にも公開

10日経ってもなお

ふとこんなタイトルが頭に浮かんだ。一体何の事か。  2月に入り、立春は過ぎても、寒波は依然として日本列島を覆っているらしい。寒い。苦手だ。春が待たれる。  孫娘の結婚式ならびにその披露宴があったのは、1月28日(日)だった。それからすれば、はや10日も経っている。  孫娘新夫婦の幸せを念じないわけにはいかない。結婚式や披露宴の写真やビデオなども、随分撮られていた。だが、それを載せたくても、祖父…

会員以外にも公開

2つの千秋楽―初場所栃ノ心の初優勝と孫娘の結婚式・結婚披露宴

タイトルだけをご覧になったら、大抵の方は訝しく思われるであろう。  だが、wakohにとっては、そのタイトルには、wakohの思いが凝縮されているのである。  どうしてか、一方の、栃ノ心の初優勝は、大相撲に関心のある方なら、ごく自然に思われるであろう。  だが、もう一方の孫娘の結婚式がどうして千秋楽と繋がるのかについては、お判りになられないであろう。  そこで、敢えて、そちらの方から話すことをお…

会員以外にも公開

小さな新年会で学んだこと

毎年1月2日には、恒例となっている家族・近親での小さなささやかな新年会がある。 今年もそうだった。これも年中行事ともなっている大学箱根駅伝をみながら、次々にやってくる人たちと、談笑しながら、屠蘇と雑煮で、またおせち料理などをつつきながら、新年を祝うことが出来た。来た人たちによる、お互いにプレゼントを交換し合ったりするのに接するのも何とも微笑ましい。  会食をしながら、ごくインフォーマルに近況を…

会員以外にも公開

独りの時間―家族の推移

wakohは疲れやすくなった、寝てばかりいるなどと自分では言いながらも、それなりにまだ元気(なつもり)でいる。  ふと現在の自分の生活の模様を顧みてみた。ごく大雑把に、これまでの生活を振り返ってみた。  1991年還暦を迎えた。1992年3月で、東大を定年退官した。それと共に、1992年4月からは帝京大学に勤めることとなった。はじめは満70歳定年の筈だったが、結局は諸般の事情で、それから1年ご…