さんが書いた連載家族の日記一覧

会員以外にも公開

萌えいずる生の悦び(1639)

 前の日記で、多くの友人・知己が次々と身罷っていき、wakoh自身も落ち込みがちになることを記した。けれども、この90歳半の老残は、それでもなお生きている。生きているからには、もっと積極的になることも必要だろう。  そこで、ここに、2つだけ例示してみようか。wakohが週に1回だけであるにせよ、デイサービスに通うようになっていることは、すでに何度も触れてきたかもしれない。そこでは、介護・支援を必…

会員以外にも公開

三箇日に親族との会合は(1633) 

 正月と言えば、かつては、父の家には年賀の挨拶に来る客人が後を絶たなかった。  wakohの家でさえ、正月には、東大の頃には、指導学生などが押し掛けてきたものだ。家内は、そのためにも、かなり大量のお節料理などの用意に腐心したものだった。だが、そういうことは漸次少なくなっていった。帝京大学に移ってからは、そういうことは殆どなくなった。  それでも、正月には親族が一堂に会したものだった。わが苫屋での…

会員以外にも公開

岸田新内閣発足は家内の誕生日でもあった(1604)

本10月4日、岸田内閣は誕生、発足した。全く私的なこととしては、たまたま、家内の誕生日でもあった。  いろいろなことに追われていて、この日記に至り得なかった。後数分で10月4日は過ぎてしまう。  そこで、取り敢えず、いったんアップして、その上で、少しは中身にも触れることにしようか。  残念!アップするのが1分遅れた。ご寛恕あれ。  wakohは政治がらみのことには触れないのを原則としてきた。…

会員以外にも公開

コロナワクチン接種2回目と卒寿を迎えて(1549)

 このところ慌ただしい日々が続いていた。杉並区では、75歳以上の高齢者に対するコロナワクチン接種が始まったのは、5月17日から。いくらかけてもつながらないとの声の最中、wakohはその最初の日に1回目の接種をすることが出来た。家内は2日目に。  それから3週間。6月7日(月)から2回目の接種。これも、5月18日(火)に予約出来ていたので、無事終了。ただし、1回目の会場は、徒歩10分くらいで行ける…

会員以外にも公開

金木犀の香りの中で曾孫と家内の誕生祝(1412)

あの炎暑が嘘のような秋冷の候とはなった。  今日10月4日は日曜日なので、午前中はオンライン配信礼拝に与っていた。はじめ、どういうわけか音声が出ず、些か慌てたけれども、再起動してみたら、声も出て事なきを得た。世界聖餐日・世界宣教の日の礼拝でもあった。  来週の週報には「先週講壇」として説教の要旨が掲載されるし、牧師の説教の原稿もメールで送られてくるので、今は最小限のことを記載するに留めよう。 …

会員以外にも公開

墓参と諸報告(1407)

雨模様で、肌寒い一日だった。だが、久しぶりに多磨霊園に行った。そこの古畑家の墓に収まっているwakohの両親に挨拶をし、いくつかの報告をしたかったからである。  と言っても、今や自分たち老夫婦だけではなかなか行けない。息子が車で行ってくれるというので、行くことが出来た次第だ。現役の社会人である息子は、何時でも行けるわけではない。  wakoh夫婦は、両親に限りない感謝の気持ちで満たされている。 …

会員以外にも公開

「敬老の日」に(1404)

「コロナ禍の中での4連休」(1402)と言う日記を書いたばかりだが、念のためもう一言する。お許しあれ。  自分で、自分自身も関わることを、「敬老」などと言うのは本来憚られるところではあるのだが、何時の間にか年老いて、いわゆる「敬老」の対象の年齢になってしまった。  初めのうちは、自らを老人などと認めたくなかったかもしれない。強がったりしていたものだ。  だが、何時しか、それも自然に受け容れるよう…

会員以外にも公開

同一視(Identification)偶感(1399)

つい先日、曾孫の赤ちゃんが、両親とおばあさん(wakohの娘)に連れられてやってきたことを日記に記したばかりだ(1397)。生後10か月半の活発な赤ちゃんだ、見れば見るほど可愛らしい。  ところが、wakohは娘のそんな時を知らない。生後8カ月の娘を置いて留学に出立してしまったからだった。  その1年後、今度は1歳8カ月の娘を家内の母親とwakohの両親に託して、留学した。その旨も前の日記に触れ…

会員以外にも公開

曾孫の来訪-その動きを見るにつけての蘇る思い(1398)

タイトルに、「曾孫の来訪」とつい書いてしまった。まるで自分でやってきたかのようである。もちろん、そんなはずはない。生後約10か月半。はいはいは自由に出来、つかまり立ちなども積極的だし、こんな歳でとも思うのだが、自分の意思めいたものも感じられはするほどだ。  孫娘たちはK市に住んでいるのだから、歯の治療と言えば、近くにいくらでも歯医者さんもおられよう。だが、娘にしてもそうなのだが、わざわざwako…

会員以外にも公開

曾孫の来訪 と オンライン家庭礼拝 (1351)

昨5月16日は、東京では一日中雨模様だった。ただでさえ、この新型コロナ感染のニュースで、心が落ち込みがちなのに、天候の憂さが余計に憂鬱な気分を倍加させていた。  そこに一条の光が差し込んできた。まだ6日前に来たばかりだのに、曾孫が来てくれるというのだ。祖父母になった娘夫妻と、母親になった孫娘といっしょに。  曾孫娘が行きたいと言っているからとの名目で、ますます年老いてくる老夫婦を慰問に来てくれた…

会員以外にも公開

母の日で、結婚62周年記念日に、曾孫来訪  オンライン家庭礼拝も(1348)

この日記は、表題に記したことに尽きる。  今日は母の日でもある。ステイホーム、外出自粛をとのことの故に、母の月にしたとのことだが、いずれにせよ母の日だ。  それに,wakohの結婚式は1958年(昭和33年)5月10日だったので、それからすれば、ちょうど満62年経った。 その間、1960年8月から翌61年8月までは、wakohは一人でイリノイ大学に留学していたので、まる1年間だけは、その意味で…

会員以外にも公開

梅過ぎて 桜咲く日の 朝ぼらけ(1313)

こんなタイトルをご覧になっても、何の事やらと訝しく思われるであろう。  wakohは、我が家の5本の梅のことを散々書いてきた。 生活空間のすっかり縮まってしまったwakohにとっては、庭の草木・草花が日記の格好の主題になってきていたからである。  その梅は、老紅梅に始まり、目立たぬ小梅を沢山生らせる2本目、そして老紅梅の門を隔てて隣り合わせの老白梅、その隣の淡いピンクの花を咲かせる梅、そして最後…

会員以外にも公開

雛人形にも歴史あり(1309)

昨日「貝雛」のことを、桃の節句を前にして記してしまった。娘の持ってきて飾ってくれた貝雛が嬉しくて、まるで子供のように、今日を待ってはいられなかったのかもしれない。  そこで、桃の節句を迎えた今日、それに因んだ何かを記そうとしたら、ふと思い浮かんできたのが、これである。  昨日掲げたのは、娘の手作りの貝雛だったけれども、実は、かつては我が家にも雛人形があった時期がある。  この「趣味人倶楽部」で…

会員以外にも公開

曾祖父と 言われ微笑み 曾孫来る(1289)

今日2月8日は、昨日一昨日に続いて寒いと予期していたが、ここ東京では快晴に恵まれ、さして風もなく、穏やかな日和となった。  予め家内には連絡してあったらしい。午前中から、曾孫と、その両親、つまり孫娘とその亭主、および、その祖母、つまり娘とが訪れた。  もちろん、一番の賓客は曾孫だ。生まれてから、今日で109日か。機嫌よく、表情も豊かだし、手足の動きも活発だ。フォトに納めもした。  だが、孫娘と…

会員以外にも公開

曾孫との初対面(1243)

曾孫が生まれたのは、10月23日だった。すぐにも観たかったのだが、こちらが風邪気味だったので自重していた。  風邪も一応収まったかに見えた11月2日、孫娘は里帰りしていたので、家内と娘の家まで出かけた。  思った以上に小さく、それにしては表情もあり、手足を動かすさまも観られたり、あくびをするような様まで見られたり、飽くことがなかった。それでも、少し見るだけで我慢しておいた。自分の風邪が心配だった…

会員以外にも公開

曾孫の誕生・曾祖父となる(1237)

これから記そうかとしていることは、未だ娘の許可は得ていない。その意味で、いくばくかの躊躇いはないとはしないけれども、一言しておこうか。娘よ、許し給え。  人間の生命は尊い。連綿と受け継がれて現在に至り、未来に繋がっていく。  その生命が神様の祝福の中に、育まれんことを。  娘の長女が無事出産した。10月23日8時15分だった由。 母子ともに健全のようだ。まずは喜ばしい限りだ。  その胎児の生…

会員以外にも公開

江戸川乱歩と父(番外編)佐藤春夫と江戸川乱歩(1222)

wakohが佐藤春夫家との三代に亘る交流の日記を書いた時も、今江戸川乱歩と父にに関わる4篇の日記を書く前にも、まさか佐藤春夫と江戸川乱歩が会ったことがあるなどとは、全く知らなかった。  ところが、実際に会っていたのだ。しかも、重要な局面においてだった。  江戸川乱歩『日本探偵小説事典』をざっと読んでいた時に初めて知ったのだが、探偵作家が注目するわが国の純文壇作家としては、谷崎潤一郎・芥川龍之介・…

会員以外にも公開

江戸川乱歩と父(4)江戸川乱歩と父の交流(1221)

戸川乱歩と父(4)江戸川乱歩と父の交流  (これから書こうとすることは、実は二度にわたって途中で消えて(消されて?)仕舞ったものである。探偵小説の第一人者に関わることなので、あるいは探偵的に、その理由が探られるかもしれない。  超大型台風19号は東海・関東の広域に大きな爪痕を残しながら、北上していった。その間、wakohは、何と「江戸川乱歩と父」のことなど書いていたのだった。だが、肝心の部分が…

会員以外にも公開

江戸川乱歩と父(3)小酒井不木と江戸川乱歩(1220)

 さて、ここで一変する。小酒井不木と江戸川乱歩の関係に。  江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、大学在学中から、また大学卒業後、職業を実に転々としている。在学中には、活版小僧、写学生、政治雑誌編集部員、図書館貸出係、英語の家庭教師など。また卒業後は、大阪貿易商の許約1年、造船所事務員、団子坂での古本屋、「東京パック」編集者、中華ソバ屋、市役所吏員、時事新聞記者、大阪毎日新聞広告部員と言った有様だった…

会員以外にも公開

江戸川乱歩と父(2)父の小酒井不木との出会い・その交流(2019)

 三高では、1年先輩の、親友となる小酒井不木(光次)との出会いがあった。どういう契機だったのかまでは定かではないのだが。恐らく、三高の寮で相知るようになったのであったろう。不木は医科志望の三部だった。不木は稀にみる秀才だった。しかも、互いに肝胆相照らす仲となった。不木はいち早く父の素質を見抜いたのでもあったろう。父は不木にすっかり心酔してしまった。そして、それは不木の死後もなお揺らぐことがなかっ…