さんが書いた連載釣行日誌の日記一覧

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▢船検「中間検査」が完了しました ▢シロギスがつれました 

▢『ryouhei-丸』(私事)もことし数えで67才と相成り、あわせて「「高齢者」二年生」に進級した。  一方、釣りの相棒の『涼平丸』(船のこと)【ph2】は、2001年 5月の登録・進水だから、もう20年にもなる 「老艇」で、寄る年波には勝てず、空気漏れが発生 https://smcb.jp/diaries/8640604 参照、船検の「中間検査」を前に「鎌倉コング(修理業者)」へ、船体点検・…

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▢キハニ5000型の「セルフレストア」始末記 □マイワシがおいしくなりました。▢ 涼平丸釣行 NO.160

【写真1】 キハニ5000型 ガソリン動力車について  「ディーゼル車」ではなく「ガソリン車」だ。昭和のはじめ、旧鉄道省が最初の「内燃動車」として誕生させたときに1929年(昭和4年)。きゃしゃな足まわりにくらべて、リベットだらけの武骨な車体は大柄で、「ブコツでかわいらしい」と模型ファンのなかでは結構な人気がある。 ▢今はもう昔。1973年僕は17歳、市販の「エッチングシート」を使い、糸鋸…

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□ヤマメ(テンカラ釣り)の楽しみ □まずは順調、鉄道模型(キハ43000型)試運転

【写真】 酒樽くらい大石に強い流れがぶつかっていた。その大石の上手に毛ばりを打ち込む、左右に絞り出されるながれにやや沈みながら流れに乗る毛ばり … ヤマメがキラリと反転するのが見えた、その瞬間に合わせた … たぶんこうだった だろう。その一連わずか2~3秒、ヤマメを毛ばりで釣る「テンカラ」の楽しみは、この真剣勝負にある。さて、取り込む寸前にばらす(針からはづれる)が、ひざと腕で必死に抑え込み確保…

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□都県をまたいで「釣り」も解禁? □釣果は3尾、しかも外道でした… 

【ph1】 ryouhei-丸は、マイボートであり僕のハンドルネーム。きょうは9:30と早上がり。柔らかな砂地の勾配を50kg超のボートを引き上げることが、できなくなったら「竿をたたむ(やめる)」つもり。あと何年できるのだろうか? それまでは、”どん欲 ”に楽しむつもりです。 【ph2】きょうの本命はシロギスだった。ところが本命は顔さえおがめず、外道が3尾とは、それでも気の利いた魚(良型カワハ…

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□庭の柿の実が色づいて □タチウオつり □悲運の鉄路「満鉄」におもいはせて…

□庭の柿の木、実も葉も秋の陽に、日に日に色づきを深めて行く。 「これで19個だわ、台風にも負けないでよくがんばった!」と家人がつぶやく。それは庭の柿の実数、採った数をカレンダー横の"正"のしるしに字画を加えていく。去年・今年と ”なりがよい" 当家の柿の木のこと。 □昨年(平成30年)前面の「私道」を改修した。地主氏との交渉からはじまって、区道へ可能性を探ったり、助成含め施工業者の選定など一連…

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□"ワシオ"からもらったシロギス12尾

□2018_6_17。「平塚フィッシャリーナ」【ph1】から出港した。「平塚フィッシャリーナ」は、いまから15年くらい前だったか、平塚新港の造成にあたって、地元漁業者と平塚市、地元の釣りファンも加わって "港の一部をマリンレジャーに開放した施設"である。 僕は「可搬型ボート」を専攻しているが、ひとつ上位クラス「牽引型(トレーラブル)ボート」や最上位の「大型クルーザーの一時寄港」など、湘南地域の…

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□ryouhei-丸-の釣行日記,NO.153  「カッタクリ」考 □「荷物電車」製作中

□神奈川県横須賀市長井 "和田長浜(わだなはま)"海岸から出船した。目の前には相模湾、その向こうには黒富士が浮かぶ。その山容の稜線をすそ野までなぞるように、"右のゆび先は右スソに、左の指先は左スソに・・・・"両手両指先を「ハの字を書くように釣糸をたぐる」・・・・と相模湾の伝統釣法の「カッタクリ」の腕のうごきになる。 □「カッタクリ」は竿は使わない手釣り。ミチイトを「ひったくる」ように"たぐる…

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□"観音崎のつり、書き出しは「つり」ではないけれど

□親愛・感謝。釣りにゆけないなぐさみに日記をアーカイブ・・・・・ことしもよろしくお願い申し上げます。 □町田の現場もきのうでおわる、次の現場までのシフト替え、連休になった。無用人といえば聞こえは良いが、年々逓減していく給与と定年前契約(雇用)解除の影がしのびより、背負いつつ、日々くらすわが身の情けなさに・・・・・・。 □"人間、自ずから用に適するところあり、天下、いずくんぞなすべきときなから…

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□浦賀歴史散歩□タチウオつり

□むかし"嘉永"という時代があった、四隻の蒸気船がこの沖にいかりをおろした。"浦賀(うらが)"はこの国の開国の地である。河口のような浦賀湾、となりの久里浜に来たペリー艦隊、"そこは砂浜でござるよし、浦賀へまいられ"といったかどうか、幕府はペリー一行を案内をしたその地が"浦賀"。三浦半島は、その先端部は複雑に入り組んだリアス地形、風景は河口の様で、鋭く海が切れ込んでいる。その入り口に小さな漁師町が…