NHKの戦争「日本人はなぜ戦争に向かったか」を見て思ったんですが
ソ連だとスターリン
イタリアだとムッソリーニ
ドイツだとヒトラー
日本だと誰?
(1月15日 15:11 追記:)
要するに、こいつは悪人、というのは誰? ってことでお願いします。
できれば、何故かも教えてください。
(1月16日 13:53 追記:)
ええと、戦争責任については、今回の質問の意図には全然入っていません。たとえばスターリンの名前を挙げていますけど、彼は戦争負けていませんよね? しかし彼は悪人。なぜならば・・・という感じです。
(1月17日 20:57 追記:)
先ほど昨日放送分の第二回を見ました(録画していた)。
やっぱり、戦争において悪人として上げられるべきは国民?
ちなみに、皆さんの回答として僕の想定では、731部隊の石井四郎とかが出てくるのかなと思っていました。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
はい、そうです。
質問にあげた名前は、だいたい誰もが悪人と認識しているはずのものですけど、じゃ、日本においてはどうなの、ってことです。
もしかして国民? ってことから疑問を持ちました。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
他の国の様に専横な行動をしていた訳ではないでしょう。
だとすれば他の国で、民衆を虐げていたとか、ひどい統治状態で、本人は好き勝手に良い思いをしていたという様な、悪人と言われる存在はなかったと言えませんか。
他に責任を問われている人物にしても、その時代を生きている訳ですから、やはりその時代として、国を動かしていく立場にあって、国の為にその決断をした事なのでしょうから、
やっぱり悪人とは断定出来ませんね。
国民だって、その状況の中で自分の為に悪に加担した人もあるし、そうでない人も居る。立場立場でいろんな事をしていたのでしょうね。
戦争には反対で思想犯として我が身を省みずに意思表示をして、獄死している人も刑死している人もありますね。
としちゃんさんが納得出来る様な形の、悪人は居なかったと言えるのではないでしょうか。
責任は国民にもあるとは思っていますけれど。
戦争に突入したのはそう言うところへ意図的に追い込まれたのだと言う説もありますね。
外交はお互いに利害関係の対立が必ずありますから、一面的な見方では、把握出来ないような多くの事があるのではないでしょうか。
としちゃんさんが、納得出来る事を見つけるのは、単純に考えれば見つかるかもしれませんが、本当のところは難しそうですね。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
悪人などいない。ヒトラーもムッソリーニもスターリンも、当時の国々の英雄だった。それを戦争に負けたからと、悪人呼ばわりするのは誰にも出来ないのではないかと思う。
日本もそのとおり、当時の日本人は「日本が正義で、鬼畜米英をやっつけろ!」と言う思いでいたと聞く。それを諌める立場のマスコミが、逆にそれを煽ったのがいけなかった。敗戦濃厚になっても、マスコミは虚偽を報道し続け、本土決戦まで行ってしまった。
戦争に悪人などいるわけがない。今もやってる米国×アルカイダもそうだが、どっちもどっちで善悪をつけられるものではない。勝った方が、相手国を悪人だと決め付けるだけではないのか。だから、質問者さんの時代錯誤、水戸黄門の見過ぎではないのかと思う。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
歴史というのは面白いものですね。
その時代によって悪というものの定義も、違ったものになってしまったり。
ある時代には悪とされたものが、またある時代には復権したりという事もなきにしもあらずですよね。
戦争報道に携わっていた人の中には、戦後良心の呵責で筆を
折ったと言われる人も居たと聞いています。
大きな時代の流れの中では、個人は翻弄されて、いろいろな運命に見舞われてきたんでしょうね。
>スターリンは戦争に負けていませんけどね。
スターリンの場合は自国の民衆に裁かれて、
悪人になったのでは?
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
その時代には、ヤマトの五代が愛する地球を守る為に
自分を犠牲にした様に、特攻隊を志願して、自分を犠牲にした人達も沢山居た事も忘れないで、思い出していて下さいね。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
>悪人になったのでは?
そう。戦争責任なんてことじゃないわけで。
要するに、人間として悪なわけで。
悪とは、たとえば無抵抗で反撃する手段を全く持たないものを虐待虐殺すること。幼児虐待のような。
でも、正義とは、一体なんであるのか具体例さえ挙げられない。
(バットマンの映画が陰鬱なのはそのためなのかと)
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
>正義とは、一体なんであるのか
としちゃんさんはいろいろ思考する方ですね^^。
わたしも考えてみるのは好きなので、少しゆっくり考えてみたいと思います。考えて何かコメント出来るようでしたら、
また書き込みますね。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
説明はありましたれど、あまり天皇陛下の直接的な関与というような詳述はありませんでしたね。危惧しているという様なことはちらと出ていましたけれど。
当時のお立場もそのようなものだったのではないかと推測できるようにおもいますが。
ですから、陛下のご自分は専門家ではないからと言われたのは、心のままに仰られたのではないかと思います。
保身などは考えておられなかったのではないでしょうか?
陛下にとっての専門家は政治家とか軍部だったのかしらね?
とりあえず観て思った事です。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
特に、今の世情や内閣のあり方に本当によく似ているように思いました(さすがに軍部は今は無いけど)。
たとえば、海上保安庁のビデオ流出事件。システム上はやってはいけないことだのに、世論は受け入れてしまっている。司法もそのまま流されている。
今、嫌韓とか反中とかの人々が騒ぎますけど、もし日本に憲法9条がなければ、世論に動かされて韓国や中国とまた戦争していたりしてねwww
僕自身は憲法改正賛成なんですけども。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
影響するのは確かな事だろうと思います。
NHKの番組を見ると、ほんとに開戦前の日本の状態は、今と良く似ていると思わせられましたね。
政治家達の内部抗争もねw
そして、あの時代より今の方が、もっと世論に敏感になっている感じですしね。
ここでも、とてもきな臭い雰囲気を感じる事がありますね。
やはり、憲法9条は残して欲しいと思っているのですが、
改正賛成の方は、どんな風に考えて改正を支持するのか、
不勉強です^^;
単純に考えれば正義というのは「人としての正しい道」
何を正しいとするのかは相対的なもので、自分にとって正しくても、相手にとっても正しいとは限らない。
戦争もお互いに自分の国が正義だと思っている事が多いでしょうか。
圧政をしている施政者にとっては、やはりそれが、自分たちが正義なのかもしれませんね。
その辺りのところで、としちゃんさんの言われる、具体例
さえ擧げられないというところに行き着いてしまうのかもしれません。
普遍的な正義というのはあってなきものなのかもしれません。
でも人としては公平さとか、誰が考えても正しいと思える様な行動をする?などは正義かなと思ったりしますけれどね。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
自分が悪だと思って戦っている人はいないんじゃないでしょうか。
たとえばデスラーだって・・・・・。
>でも人としては公平さとか、誰が考えても正しいと思える様な行動をする?などは正義かなと思ったりしますけれどね。
たとえば、悪がなされているとします。それを止めるのは正義?
止める手段は、普通は暴力なんですけど、警察が使う限りでは建前上正義なんですよね。しかしそれは建前上に過ぎないと思う。
弱いものいじめをするなってそいつを殴れば(あるいは拘束すれば)、それはやはり弱いものいじめに過ぎない。なのに、殴る以外に止めることはできない。それは正義?
それを正義と言うなら、行使する力=暴力は神様からもらったんだと言い張るぐらいの強引さが必要になると思うんですよね。
でも、神様なんかいないし。たぶん。
(こういう点、神様がいるキリスト教国は楽で良いなと思う)
日本では、神様はいないという人でさえ、悪魔はいるように思っているんじゃないかと。
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
>止める手段は、普通は暴力
暴力にも言葉の暴力とかいろいろありますものねw
としちゃんさんは悪い事をするのを止めるのも正義に反すると考えるのかしら?
考えようによっては、そのために法というものの成立が
必要だったのかも。
衆議の上でそれを正義と決めるという事かな。
だけど、その法も決められた時代によって、現在には対応出来ていない事もある。
少し前に他の方と正義というのを話した事があるので、
その方の考え方も参考になるかと思いますのでURL貼りますね。
http://smcb.jp/_qacs00?aid=206310#comment
ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん
いくら優秀な人たちが集まっていても、集団というか組織になれば、組織の利益を最優先に追及します。つまり、国益、国民の利益は後回し、そと、外国と摩擦を起こしても、組織内部での摩擦ををさけるほうをえれぶということ。これが太平洋戦争への道を開いた。
戦争後、徳富蘇峰が何と言ったか知っていますか。石原莞爾がどのような生活をしていたか知っているでしょうか。一度研究してみたいと思っています。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
僕は基本的に原理主義者ですから、悪いことをするのを止める手段によっては正義に反すると考えています。
そしてその手段は、正義に反すること以外の方法を思いつきません。
>考えようによっては、そのために法というものの成立が
>必要だったのかも。
>衆議の上でそれを正義と決めるという事かな。
その証拠に、というわけでもないんですが、法律は基本的な構成として、「〜してはいけない」というスタイルをとりません。
たとえば、「人を殺してはいけない」とは書かれていません。「人を殺した場合はこういう罪と罰になる」というスタイルなわけです。
したがって、法律は正義から非常に遠いところに存在します。
リンク先拝読しました。
えーと。
合コンの帰りで頭が痛い・・・・。
友人の家で目覚め、ここはどこ? こいつは誰? 状態だったし・・・・。
(ちなみに、男の友人であって、女じゃない。女っぽくも無い。芸じゃない。おまけに僕もノーマルですけど・・・なぜかそいつの手は僕の・・・)
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
>にほんの特徴は、誰と特定できないことが大問題だと思うのです。
そうそう。
責任をとるというのは、自分がどうしてそれを行ったのかを徹底的に説明することだと、企業経営理論にでてきました。徹底的とは、前の晩に何時に寝て朝食に何を食べたのかまで、言い及ぶことだとも。
そして、組織の要件としては外部監査から責任追及されるための可視性が最も重要である、ということなんですけど、全然ないんですよね。今もそうだけど。
せっかく学問としてあることが、なんで生かされていないのか不思議。
名前を忘れてしまったけど、暗殺された人、彼がいれば戦争が起きなかったかもしれないとまで言われていた人、本当に残念です。