元寇の世界史的視点からの歴史的解釈について、どなたか教えていただけませんか?
13世紀の後半、現中国の地から、フビライ軍が日本に攻めて来ました。われわれ日本人は、日本史の中で、この歴史的事件を習います。
必然的に、日本史と云う枠の中で解釈されますから、矮小化された解釈がされているような気がしてならないのです。
我われは、日本が、地球上で単独で存在しているわけではありませんから、周辺国や世界との関わりを無視することはできません。
これを、世界史という流れの中で解釈すると、どういう事件であったのでしょうか。どなたか、ひも解いてくれる方はいないでしょうか?
(9月3日 7:15 追記:)
Qに則していない回答もありますので、一定の猶予時間の後、削除の対象と致します。
お断りの注意が遅れましたが、ご了承ください。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
人さまの教えを求めてはいますが、当方も多少の見解は持ち合わせています。それゆえ、つき合わせざるを得ないのですが、お許しくだい。
ジンギスカンの征服が単なる侵略で力による支配だったという見解をとりません。その考えは、侵略をうけたヨーロッパやイスラム国の後世史家や日本史家(旧国史家)の見解を色濃く反映したもので、客観性を欠くという指摘がされています。
ヨーロッパの支配が‘方法’で、モンゴルの支配が‘力’?
>宗主国の力が衰えても、支配体制は変わらないという特徴がありました。
たとえば、どのような例があるのでしょうか?具体的に示してほしいですね。
日本への侵攻は、「日本刀は鉄砲の発明以前は無敵の武器だということが世界に認識されたことではないでしょうか。」ということではなく、世界史的視点で見ると、どう解釈するべきかと云うのが、Qそのものだったのです。
残念ながら、現行制度では、私のコメントに再度コメント出来なくなっていますので、別の形でご意見を承ることは歓迎します。