連載:宗教

善意ははたしてつねに善なのか

曽野綾子さんが書かれた文章に触れて、なにか膝を叩く
思いがした。

「私は善意に溢れた人を、嫌うというより、
やがて恐怖を抱くようになった。
音楽の好きな人がいた。クラシックがその人の生活の
一部になっていた。私が訪ねていくと、その人は必ず
クラシックをかけてくれた。音楽の装置は、私の家には
全くないほどのすばらしい「ステレオ」だった。
しかし私は人と会話しながら音楽を聴く趣味がなかった。
音楽もその場合はうるさく感じられた。」
    曽野綾子『ただ一人の個性を創るために』

クラシックの音楽が常に流れているのが、生活の一部である
という信条を持つ友人