さんが書いた連載宗教の日記一覧

会員以外にも公開

善意ははたしてつねに善なのか

曽野綾子さんが書かれた文章に触れて、なにか膝を叩く 思いがした。 「私は善意に溢れた人を、嫌うというより、 やがて恐怖を抱くようになった。 音楽の好きな人がいた。クラシックがその人の生活の 一部になっていた。私が訪ねていくと、その人は必ず クラシックをかけてくれた。音楽の装置は、私の家には 全くないほどのすばらしい「ステレオ」だった。 しかし私は人と会話しながら音楽を聴く趣味がなかった。 音楽…

会員以外にも公開

コヘレトの言葉

伝道の書ともいわれるコヘレトの言葉は、 まさに晩年に至った成熟した賢者の言葉といえるだろう。 「空の空、空の空、いっさいは空である。」 とはじまるこのコヘレトの言葉は、世の中の虚しさを 嘆いたというふうに若い頃はとらえていた。 しかし年相応に年齢を重ねた現在、 この文章は、単にこの世の空虚さを嘆くという一面だけ でなく、より重層した意味を持つ複雑なものであって、 とても心に染み入るものだなと…

会員以外にも公開

イエスの眼差し

前日記と関連したことをすこし書きたいと思う。 イエスの眼差しについてである。 聖書を読むと、思い通りに教えを理解しない弟子たちや周りの人たちに対し、イエスはときに苛立ったり叱ったりしていることが、福音書の記述から伺える。 しかし、ほんとうはイエスはどのような眼差しを向けていたのだろうか、なにを思っていたのだろうか。ずっと気になっている。 ゲッセマネという丘でイエスは弟子たちを待たせ、祈りを捧…

会員以外にも公開

『沈黙』のロドリゴ

遠藤周作氏の『沈黙』が映画化されたと話題になっているようだ。この小説が世に出されたとき、自分は思春期で、この小説のことは知っていたが読まなかった。今回の映画化で、ストーリをWikipediaで知ったくらいの知識しかない。 出版当時、読まないと思った背景を、なんとなく記憶している。この話の中でクライマックス部分にあたる、踏み絵による信仰の見極め場面に、どことなく違和感を覚えたからだ。踏むとか踏ま…

会員以外にも公開

青い鳥

メーテルリンクの戯曲「青い鳥」は、 「幸せの青い鳥は身近にある」という 教訓話のように扱われてしまっているが、 ほんとうは少し長い話だ。 クリスマスの夜に、チルチルとミチルのもとへ 謎の老婆があらわれて、娘の病が治るという 幸せの青い鳥を探しておくれと頼まれる。 チルチルとミチルは、青い鳥探しの旅に 出かけることになるのだが、青い鳥が見つかったと 思った途端、その色が青色ではなくなってしまっ…

会員以外にも公開

みな金色

昨晩、日本TV「生死を分けたその瞬間 体感!奇跡のリアルタイム」という番組のなかで、辛坊治郎氏のヨット遭難と救助の顛末を観た。 全盲のプロセーラー・岩本光弘氏の介助人として、乗船していたそうだが、クジラの衝突によってヨットの船倉に穴が空き、やがてヨットは沈没した。脱出用の救命ボートになんとか乗り移ったが、救助されるまで11時間余、寒さに震えながら漂流した。 救助された後に、インタビューを受け…

会員以外にも公開

角の生えた肖像画

石見の才市という妙好人がいた。 生まれたのは1850年。 才市11歳のときに両親が離婚、 母親はその後再婚し、 父親はほどなくして出家して僧籍に入った。 幼くしていずれの親とも離れて 暮らさなければならなかった。 たくさんの詩を残したが、 そのなかに親が死ねばいいと思っていた という懺悔の言葉が残っている。 25歳のときに結婚したが、賭博や酒に 明け暮れている生活を送り、警察の厄介にも なっ…

会員以外にも公開

『「さとり」ってなんですか?』を読む

書店の店頭で、変な表題の新刊本を見つけた。 『おしえてお坊さん!「さとり」ってなんですか?』 こんな表題。 著者は若い女性のようだ。 最初、また癒やしだとかヒーリングの あるいは、あなたは幸せになれる系の 軽い本だと思い、フンという感じだった。 2度目に書棚にその本を見かけたとき、手に取ってみて、 パラパラと眺めてみた。 どうも軽い本ではないようだ。 著者は32歳の仏教女子という言い方で表現さ…

会員以外にも公開

凡夫とは何か(自分のためのメモ)

日頃、いたらない自分のことを謙遜して、 煩悩おおい凡夫ですからと言ってみたりする。 その言い方に、なんとなく軽さがあって、 まあ社交辞令的に、へりくだって言っている 気配が濃厚だ。 しかし辞書によれば、凡夫とは仏教用語で、 煩悩に縛られて仏の教えの悟りに達することができない人 とある。 とくに浄土真宗の教えの中では、この凡夫の意味は より鮮明に定義されている。 梯實圓氏の説明がある。 『凡…

会員以外にも公開

宗教にはいろいろあるが・・・

宗教とはなにかと問われるならば、 いちばん底辺のところで考えること、 ではないかと思う。 そして、大抵のことは、お園さんではないけれど、 「差し支えなし、注文なし」ということになってしまう。 この世でどれほど大切にしているものも、 大切に思う人も、おのれが死んでしまえば、 なんの意味もないものになる。 どのような財宝や宝でも同じだ。 これは何を意味するかといえば、 大切にしているものも人も、…

会員以外にも公開

悪人とは何か

歎異抄の第3条に、 「善人ですら救われるのだから、まして悪人が救われないはずがない」 という悪人正機説の言葉が出てくる。 この真意が誤解を生みやすいため、やたらと流布させることは許されなかった。 悪人という言葉の意味を、犯罪者とか、じっさいに悪事を働く人というふうにとってしまうと、どんな悪事を犯してもそれでも罪は許されてしまうというように聞こえる。 いったい悪人とは何を意味しているのだろう。…

会員以外にも公開

救われるとは

妙好人の逸話には、悩む信者が救いというものがわからないと相談する話が多い。あるいは死んだらどうなるのか、どうにも安心ができないという嘆願だ。 そしてお決まりの答えは、阿弥陀如来にお任せするのだというもの。しかしそれで、ああなるほどと納得できるなら苦労はないわけで、それはどういうことかと問答が続く。 いったい救われるとは、どういうい状態のことをいうのか、よく考えればはっきりしない。どうなれば救…

会員以外にも公開

ヨブ記の解釈をめぐって

哲学者の岩田靖夫さんが著された著書のなかに、ヨブ記について触れた文章がある。ヨブ記は旧約聖書のなかにポツンと置かれた不思議な物語だ。 なぜ不思議なのかというと、この書が聖書に置かれた意味がはっきりしないのだ。つまり何を語ろうとしているのか、判然としない。 敬虔な信仰をもつヨブが、まったくとつぜん予期せぬ不幸と災難に見舞われてしまい、家も子供も家畜も財産も失われ、何もなくなってしまう。苦しむヨ…

会員以外にも公開

怒りについての書物

人間の感情のなかで、最もあつかいがむつかしく制御しにくいものは怒りだろう。それは他の感情と異なり、実際に生活していく上で害毒を撒き、また自分自身をも苦しめる。 若い頃、ダンマパダの最初の部分をよみ、すっかり参ってしまった。ここに述べられたことは、自分はとうていマスターすることはできないと直感した。 中村元氏の『真理のことば(ダンマパダ)』(岩波文庫) より、少し長いが引用する。 「かれは、…

会員以外にも公開

信じるということ

ある本に「裸の王様」の話が紹介されていた。 見栄っ張りの王様が、詐欺師のいうままに、 みごとに騙されて裸で街をねり歩く話だ。 どうやって詐欺師は王様を騙したかというと、 詐欺師は、王様に「上等で素晴らしい柄の布なのですが、 愚か者にはこの布は見えないのです」と言う。 王も家臣も、自分を愚か者だと認めたくないので、 これは素晴らしい布だと賞賛する。だれも疑いの意見を 言う者がいない。 素晴ら…

会員以外にも公開

人間を越えるもの

神谷美恵子さんの代表作『人間を見つめて』に、うつ状態に悩む女性の話が紹介されている。 この女性は夫に急逝され、なおかつ心臓の不安発作や不吉な幻視などの症状に悩まされていたが、神谷さんの診療によっても一向に改善が見られなかった。 やがて転院をし離れたところの生活が始まり、しばらくして、ある宗教の集まりに誘われて参加するようになった。 それから数カ月後、神谷さんに届いた便りには、どうぞ安心して…

会員以外にも公開

矛盾の言葉に満ちた歎異抄

歎異抄の輪読会を開催して勉強を続けている。親鸞の言葉を伝えたとされる歎異抄は、矛盾した言葉のオンパレードである。よくよくその言葉を考えてみると、おかしいな、変だなと感じることが多く、常識的な意味で読もうとすると、罠だらけである。 前々回に、第二条を読んだ。このようなことが語られている。 「念仏は浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存じせざるな…

会員以外にも公開

なぜ、わたしたちでなく・・・

先日の宗教の集いのなかで交わされた会話の一部が、どうも頭のなかで不発弾のようにくすぶっている。意見を述べる場の中で、自分は最後まで言葉を尽くして語らなかった。そのため、形にされる機会を失ったままのことばのかけらが胸にある。そのことを記しておきたい。 それは具体的には健常者と障害者の差という会話の中だった。障害者はなぜ保護されなければならないのか、という問いかけに対し、たんに可哀想だからとか、能…

会員以外にも公開

集まりのあとで

宗教の勉強会を、昨日開催した。あちこちより大勢の人が(6人が)集まった。今年の夏ころより歎異抄の輪読会を進めている。昨日は、第三条の、「善人なおもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」のところをみなで読んだ。 しかしながら歎異抄の勉強という形式からすぐ逸脱してしまい、話はあちこちに飛び、それぞれの宗教観や人生観を語り、質疑を行うというような実績を積みあげているのが実態。まあそれでいいと思っている。…

会員以外にも公開

昔はよかった・・・とは本当か?

昔はよかったと言う人がいる。それは本当なのだろうか。 昔は若かった、からだも元気でよく動いたし、細かい字も読めた。たしかに年齢とともに変化はあったかもしれない。 が、本当に昔のほうがよかったのだろうか。 そんなことを時々思う。 振り返ると、昔のことを懐かしんだり、あの頃はよかったと思う経験が自分にはなかった。まあ世間的に言えば不幸な、というか困難な環境のなかで育った。幸せな子供時代とか黄金時代…