連載:近代

近親結婚の障害

第42代文武天皇は、2代にわたって近親の血が凝縮していました。まず、天武・持統夫妻が叔父と姪の結婚です。

 2人の間に生れた草壁皇子は、持統の異母妹阿閉皇女と結婚したので、甥と叔母とが結ばれたことになります。

 その子が軽皇子、つまり文武天皇です。草壁皇子は28歳、文武天皇は25歳で病死しました。

 この2代の早世は、両親が近親だったことと関係があるのではないか、といわれております。

 近親だと、ふつう劣性遺伝が不具として現れますが、この前後の『日本書紀』『続日本紀』に、皇室関係の不具は書いてありません。

 ただ、持統天皇の同母弟に建(たける)