さんが書いた連載近代の日記一覧

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近親結婚の障害

第42代文武天皇は、2代にわたって近親の血が凝縮していました。まず、天武・持統夫妻が叔父と姪の結婚です。  2人の間に生れた草壁皇子は、持統の異母妹阿閉皇女と結婚したので、甥と叔母とが結ばれたことになります。  その子が軽皇子、つまり文武天皇です。草壁皇子は28歳、文武天皇は25歳で病死しました。  この2代の早世は、両親が近親だったことと関係があるのではないか、といわれております。  …

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わが青春のバカヤロー解散

終戦後の公職選挙で社会党が政権を取り、片山哲が首相になりました。  社会党政権はあえなく失政し、次が自由党の鳩山一郎です。ところが鳩山は公職追放になり、吉田茂が首相になりました。  サンフランシスコで行われた講和条約は、吉田が全権大使として締結しております。  自由党幹事長の佐藤栄作が、造船疑獄事件での逮捕寸前に、犬養法相が指揮権を発動して佐藤を救いました。  戦後の混乱期を見事に処理し…

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伊藤博文の背に貼りついた死の翳

明治時代に旅順監獄の所長をしてい栗原警視は、旅順に来て演説していた伊藤博文の背に、貼りつく死の翳を見たそうです。  日本の総理で枢密院議長の伊藤は、韓国併合をロシアに認めさせるために、旅順からハルビンに向かう途中でした。  栗原警視は、死刑囚を絞首台に見送るとき、その背に貼りつく死の翳を見てきましたが、伊藤の背にそれを見て不吉に思ったそうです。  翌日ハルビンに着いた伊藤は、小旗を振って歓…