西郷が 沖永良部で 瀕死となり療養してる間
薩摩は大変な事となっています。
生麦事件、薩英戦争・・
慶喜は
島津斉彬の聡明さ
物事を大局的にみて判断する事 先進的な開明さ、
人材育成などを非常にかっていたのですが・・
弟の久光など 父 斉興の傀儡くらいにしか思っていませんでした。
実際は 斉彬に「決断力、実行力、調整力、知識」は自分以上だと 久光は評されていました。
それを全く慶喜には認められず 生涯 相容れませんでした。
久光の肝煎りで けっこう大した事をしあげた
[ 文久の改革 ]も認められず
久光としては忸怩たるものが有ったのでしょう。