森真沙子 の 宗湛修羅記(そうたんしゅらき)―秀吉と利休を見た男

★3.5 博多の商人3傑の1人・神屋 宗湛(かみやそうたん)の活躍と苦悩を通し、秀吉の九州征伐(天正15年、1587年)から半島侵攻(天正20年、1592年)までの時代を切り取っている。

特に大友と島津の抗争により荒廃した博多の街の復興事業に尽力する。「太閤町割り」や「博多祗園山笠の流」などに今にその名を残している。先のブラタモリでも町割りの痕跡を紹介していた。

秀吉の狂気ともいえる唐入りの執念に対抗し、いかにして断念させるか、いかに時期を遅らせるかに水面下で奔走する。そして博多を基地とすることだけは避けようと肥前名護屋の地を推奨したりもする。