赤神諒 の 大友落月記

★3.5 「大友二階崩れ」「大友の聖将」に続く三部作。

弘治2年(1556年)の豊後大友家内の「姓氏対立事件」を、義鎮の近習であった18歳の吉弘賀兵衛鎮信の目で描く。当時の大友3将、戸次鑑連・高橋鑑種・小原鑑元のうちで肥後の方分(守護代)であった小原鑑元(あきもと)が、他紋衆や肥後国人衆を糾合し肥後の南関城で反乱を起こした事件である。

大友氏が頼朝の命で豊後守護として入り300年、初期には筑後・肥後も合わせた後の三国の守護を拝命していたがそれも廃れ、義鑑の時代にやっと3国守護の地位を回復した。肥後の国は乱れており菊池義武(義鑑の弟)の乱が鎮圧されてや