植松三十里 の 群青 日本海軍の礎を築いた男

★3.5 矢田堀景蔵の生涯。
「長崎海軍伝習所」で勝と同じく、3人の学生長の1人(将来の艦長役を想定して幕府により事前に人選)であり、江戸で開いた「軍艦教授所」の実務を統括した男。そして幕末には海軍総裁として最後まで幕府の艦隊を率いた男。

だがなぜか知名度がいまいちだ。副総裁だった榎本武揚の箱館抗戦とその後の活躍が光り、矢田堀の方は逆に《逃げた海軍総裁》と中傷まで。

だがタイトルが示すように育てた人材が後の新政府海軍の主軸となっていく。勝は政治家であり、矢田堀は教育者であったといえるのかも。

文中の「矢田堀は、よく言ってたもんさ。俺たちは日本を守る