「植松三十里」の日記一覧

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植松三十里 の 「富山売薬薩摩組」

★3.5 富山の薬売りと薩摩の調所笑左衛門広郷の物語。 江戸時代の外国貿易については、幕府はすべてを長崎奉行所と長崎会所を通さねばならないと定めている。薩摩藩は傘下の琉球が清国から輸入する薬種などは一旦は長崎を通さねばならない。 ・輸入薬種の大部分は大坂の道修町に運ばれ取引が行われる。長崎を通さねば抜け荷扱いとなり、摘発の対象となるが、その利幅の魅力に勝てず数々の問題を起こしてきた。 …

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植松三十里 の 帝国ホテル建築物語

★3.5 帝国ホテルのライト館の完成までを、ライトを招聘した支配人の林愛作(あいさく)とライトの助手を務めた建築家の遠藤新(あらた)の目を通して語る物語。 明治42年(1909年)赤字続きだった初代帝国ホテルの支配人となった林は、経営の立て直しを行い、手狭となったホテルの新築検討に着手する。目をつけたのはアメリカの若き建築家フランク・ロイド・ライト。ライトは親日家で、浮世絵や日本建築にも理…

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植松三十里 の 「家康の海」

★3.3 仁志耕一郎の「按針」から3年。今回は三浦按針(ウイリアムアダムス)を相談役の家臣とした家康の対外政策を物語にしたもの。 朝鮮の役と秀吉没後にウイリアムアダムスやヤン・ヨーステンがオランダ船リーフデ号で豊後臼杵に漂着した。関ヶ原の戦いの半年前1600年4月(慶長5月)のこと。家康は按針からスペインやポルトガルとイギリスやオランダとの違いを詳しく聞き取る。スペイン、ポルトガルのカトリ…

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「群青 日本海軍の礎を築いた男」(植松三十里著」は感動の生き方描く

30、「群青」(日本海軍の礎を築いた男」植松三十里著 文芸春秋 2008年5月15日発行 ー矢田堀景蔵の墓 「矢田堀鴻墓碑」 漢詩 「矢田堀が、鋭利な刃物のような才能を持ち、そのせいで出世もしたし、つまずきもした。やつが天才なのか、ただの人だったのか、その境がわからない」 「たしかに、こいつは努力家だった。俺なんか、足元にも及ばなかった」 「あれも、ひとつの男の生き方だと、俺は思っている」 「榎…

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植松三十里 の 梅と水仙

★3.5 新札がらみか津田梅子の満6歳の米国留学から女子英学塾(津田塾大の前身)開校までを描いている。物語は父親の仙と梅の両方の視点。 梅の留学の話は数多くの小説に登場し、6歳という年齢に驚いたものだが、佐倉藩士の家から幕臣に養子に入った父親のひらめきだったのか。幕藩体制の瓦解直後であったこと、父・仙の企業精神旺盛な性格も影響したのかも。 11年後に帰国した時は日本語はほとんど忘れており、年…

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植松三十里 の 群青 日本海軍の礎を築いた男

★3.5 矢田堀景蔵の生涯。 「長崎海軍伝習所」で勝と同じく、3人の学生長の1人(将来の艦長役を想定して幕府により事前に人選)であり、江戸で開いた「軍艦教授所」の実務を統括した男。そして幕末には海軍総裁として最後まで幕府の艦隊を率いた男。 だがなぜか知名度がいまいちだ。副総裁だった榎本武揚の箱館抗戦とその後の活躍が光り、矢田堀の方は逆に《逃げた海軍総裁》と中傷まで。 だがタイトルが示すように…

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植松三十里 の 大和維新

★3.7 現在の奈良県が廃藩置県後の成立過程において、和泉や河内との併合、更には大阪府への併合という混乱にさらされるなか、大和の誇りを盾に分離独立を勝ち得ていく物語である。 古都奈良の南西にある法隆寺の近く安堵村の庄屋の家に生まれた今村勤三(実在、後の国会議員)は、幼かったがために(13歳)天誅組の変(1863年)に参加できなかった(伯父の今村文吾は天誅組の立役者)。今村勤三にとって、大和の地…

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植松三十里 の ひとり白虎 会津から長州へ

★3.5 飯盛山白虎隊で死に損なった飯沼貞吉の以後の苦闘を描く。 喉を脇差で突き殉国を図るが息を吹き返し、長州藩士・楢崎頼三に長門小杉村に2年間匿われる。何度も自殺を考えたが、頼三に説得されたり村人と接するうちに、もう少し生きていこうかとも思い始める(その頼三はその後パリ留学中に病死する)。 貞吉の苦闘の時代、なぜか会津に犠牲を強いた長州や旧幕府側の者たちに助けられる、罪滅ぼしなのか、おそら…

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植松三十里 の かちがらす: 幕末を読みきった男

★3.5 「黒鉄の志士たち」から5年、作者の熱はまだ冷めず今度は藩主・鍋島直正の目で幕末の佐賀藩を描いている。 「肥前の妖怪」とか「佐賀の日和見」の評は、薩長側がそういったからだとは面白い。 最新技術をものにすることこそ攘夷に通じると考えた、洋式船、反射炉、鉄製砲、ライフル銃、蒸気機関、アームストロング砲と際限がない。 江戸で遠く離れた西国の雄藩であり、長崎警備という重責により最新情報を得…

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植松三十里の「燃えたぎる石」。

★3.7 常磐炭田を開発し横浜開港時に真っ先に石炭販売店を開いた片寄平蔵の半生。 「桑港にて」掲載の中編を大幅加筆し長編文庫化したもので、この後に「黒鉄の志士たち」を手掛けたようである。 笠間藩の飛び地である岩城の材木商の平蔵はペリーの蒸気船を目の当たりにし石炭の重要性に気づく。 地元岩城の近くで燃える石を噂を聞きつけ鉱床に行き着く。石炭は大きな産業になると・・・。 節目に同藩出身の算学…

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植松三十里の「猫と漱石と悪妻」。

★3.5 文庫書下し  NHKドラマの影響で読むことに。これまで漱石の個人的なことには興味がなかった。文豪と呼ばれる超人としての人間には魅力を感じない(単なる反発か)からかもしれない。 だが、その先入観はガラリと変わった。漱石の精神疾患は相当酷かったようで、やたら癇癪が起こす。それも不定期な周期で繰り返す。更に晩年には胃潰瘍に苦しみ最後もそれである。 よくぞその妻を続けられたものである、7人…

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植松三十里の「家康の母お大」。

★3.5 文庫書下し。 岡崎松平家を離縁になったお大が、久松家に再嫁し、3男3女を得て・・・。 山岡荘八本でもかなり詳しく扱っていたが、この本はあくまでお大の視点で描かれ、久松家のことも詳しい。 母のお富はお大を産んだ後に奪われ、姉のお丈も政略婚、竹千代や3男の康俊は人質生活、戦国の世を75歳と長生きしたがゆえに味わう悲哀。 家を守るためには身内に厳しい、そうしてこそ家臣が付いてくる。そ…

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天誅組始末記

植松三十里の「志士の峠」を読了した。著者は歴史・時代小説作家である。本書では、明治維新直前に起こった「天誅組」挙兵事件(天誅組の変)の顛末が描かれている。  本書の主人公は、討幕の密勅作成に関与した幕末の公卿中山忠能の七男、明治天皇の生母中山慶子の同母弟で、前侍従の中山忠光である。忠光は、文久3年(1863年)8月、妻で平戸藩主松浦熈の娘富子に別れを告げて、大和を目指す。孝明天皇は、8月13日に…

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植松三十里の「繭と絆  富岡製糸場ものがたり」。

★3.8  「黒鉄の志士たち」の作者、今度はどんな世界を・・・。 明治5年、新政府はフランスの技術支援を得て富岡製糸場を新設した。しかしそこで必要な工女が全く集まらない。 初代場長の御高惇忠は己の娘・勇14歳を工女の第1号とし、勇を伴って関東の村々を回って娘たちの募集に・・・。 かくして勇の製糸場での奮闘劇が始まる。15〜25歳の娘たちが500人ほど、なにもかも初めての取り組みである。 …

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植松三十里の「北の五稜星」。

★3.8  五稜星とは北極星のこと。佐々倉松太郎は他の4人の若者と、箱館で討ち死にし、5つの頂点を持つ五稜星になろうと誓った。 浦賀奉行所の与力・同心衆は幕臣が静岡に移住する際に、人員数を絞る必要から同行を拒否された。与力の中島三郎助は浦賀の与力・同心衆の若者・30数名を誘い、榎本武揚の蝦夷地への脱走組に加わった。 全員が千代ケ岡で戦死する中、松太郎のみが中島の配慮で生き残り、国許で生き恥を…