西教寺と護猿

室町時代の名応2年(1493)坂本で徳政一揆が起こった時、その首謀者が西教寺の真盛上人と誤解した山門の僧兵が西教寺に攻め入った。しかし、境内には人影がなく、ただ鉦の音だけが本堂から聞こえてきた。それを聞いた僧兵が本堂に駆け込むと、
そこには一匹の手白猿が上人の身代わりとなって鉦を叩いていた。日吉山王の使者である猿までが上人の身代わりとなって鉦を叩いていた。日吉山王の死者である猿までが上人の不断念仏の教化を受けて念仏を唱えている
ことに感じ入った僧兵はその場を立ち去ったという。
それ以来、西教寺の護猿といってあらゆる災難を守るといわれています。

護猿の説