昨日の日記にて。
運転の最中に腰痛が起きたのだが
激痛が起きるかもしれないという怖れのなか、
清水の舞台から飛び降りるつもりで
何もしないという姿勢をとった。
その折
ある思いが湧いたと書いた。
その思いとは
自分が何かをしてもしなくても
何らかの炎症による実質的な痛みは
影響を受けないはずだ。
私がなにかしようとしまいと、
実質的な痛みは厳然として存在する。
というもの。
その晩
「神経質の本態と療法」を読み進めていると、
自分のこの思いと同様の事柄が書かれていた。
【さてこれまで述べたところにより、
私の神経質療法は、
そのヒポコン