西條奈加 の 六つの村を越えて髭をなびかせる者

★3.7 蝦夷地探索に生涯を費やした最上徳内の一時期を詳述する。初めて田沼政権下で行われた天明5年(1785年)の蝦夷地探索から、寛政2年(1790年)の松平定信政権下での蝦夷地探索要請への再参加を決心するまで。

出羽山形城下から北へ8里の楯岡村出身の高宮元吉(後の徳内)は江戸の本多利明の音羽塾に入門し、天文学や測量、算術を学んでいた。時は工藤平助が「赤蝦夷風説考」を著し、蝦夷地調査の必要性を田村意次へ建白した頃。

徳内は探索隊に人夫(竿役)として2年の探索に参加。身分の低いことも幸いし、単独行が許され、松前近くのコタンでイタクニップと、アツケシ港近