心の錠を外してみよう
心を縛るモノが大人としての理性なら
心を操るモノが大人としての詭弁なら
例えば
心を曇らせるモノが大人としての惰性でも
心を揺らすモノが大人としての欲望だとしても
鍵を持っているのは確かに自分なのだという事
忘れてはいないか?
錠は掛けたり外したりする為にある
それは掛ける必要と、外す必要があるから
その事すらも忘れてはいないか?
身体はここにしか居れないとしても
心には自由な羽が生えている
それに気付く事に臆病になってはいないか?
正直になる事に臆病になってはいないか?
空想は非現実だ