横浜教会支部で、入信を迫られたときに、いやこれじゃないと強く感じたことがらについて書きたいと思う。
あのときに受講したセミナーで、神を信じることができたならば、おそらく自分は入信したと思う。しかしながら神というものの理屈(理論)はわかったけれど、神の体験がなかったということになる。
ヘーゲル流に、人間存在や神について理路整然と述べ立てられても、それで人間は変わるものではない。頭の知識がすこし増えて、ふたたび元の生活を始めることだろう。
人間が変わるのは、「この自分」、「今のこの瞬間に息づいているいのち」を揺るがす体験があったときである。キル
連載:宗教3