さんが書いた連載宗教3の日記一覧

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怒りに関する断章

こころに巻き起こる怒りというものに、これだけ悩まされ苦しむことが多いのに、振り返ると怒りの本質というものを理解していないことに気が付く。 怒りという感情はだれでも知っているが、なぜ沸いたのかなぜ沸かないときがあるのか理解されていない。 仏陀の没後400年くらいのあいだに、仏陀の教えをわかりやすい言葉で記録した経典に『ダンマパダ』があり、日本では法句経と称される。この第3句にこんな言葉が残…

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怒りに関するエピソード

どの書籍で読んだか失念してしまったが、 よく思い起こすお話。 お寺で修行を積んでいる在家の男性。 ある日、和尚のところへやって来たかと思うと、 自慢気にとうとうと述べた。 「ようやく、自分は怒りの感情を克服できました!」 聴いていた和尚は、フンという態度で 横向いたまま、まともに応えもしなかった。 話をまともに聞いてくれない和尚に向かって、 男は再度、 「怒りを克…

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いわゆるポジティブ思考なのか

前日記に記した考え方やコメントやり取りは、結局のところそれは、いわゆるよくある成功哲学やポジティブ思考なんでしょ?といわれかねないところがある。けれども明確なポイントがあって、それを補記しておこうと思う。 人間のからだは前向きに生きていくように出来ている。またこころもその通りなのだ、そしてそれが本来の姿であるということを述べた。 その背景にあるのは、人間の苦しみは、けっきょく煩悩が引…

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自ら死をえらぶということ

先日、宗教の読書会の場で、メンバーの方が、かつて自殺願望を持っていたことを吐露されていた。自分もそうだったと語った他の方も居た。 冗談交じりに、では水に投げ込んであげましょうか、というと、いやいや実際水に没入すると死にたくない!とバタつくのです、と。本当の気持ちが湧き上がってくる。 身体は嘘をつかない。 死にたいと思うときに、からだも死にたいと言っていますか?からだが死にたがってい…

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本人のマターは、教えることはできない

人に教えることが出来ることがらと、そうではないことがらがある。 たとえば馬を水飲み場に連れていくことはできるけれど、馬が水を飲むことを強いることはできない。馬が飲みたいと気持ちをもたなければ、それは無理だ。気持ちは外から注入できることがらではない。それは馬自身のマターだ。 バイオリン教室の先生が言っている。 上達する子供は、たいてい次の要素を持っているようだと。 まず練習量が豊富…

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つくった物語に支配されるという話

人間は言葉によって考えている。 したがって言葉なしには、なにごとかを悩んだりすることはできない。悩むときには、かならず頭の中で言葉が響いているにちがいない。原因がわからない不安についても、不安という言葉が頭を支配している。 逆に、言葉で表現できないことがらは、考えたり悩むことはできない。言葉によって、苦悩したり悩んだりしているのがわれわれの実態だ。言葉には、われわれを呪縛している側面があ…

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「現代の虚無と信仰」を読む

西谷啓治氏の一文「現代の虚無と信仰」を読む。 西谷氏は1900年生まれの哲学者、西田幾多郎氏のもとで学び、宗教に深い洞察を行った方だ。 自分の若い頃、西谷氏の主著『ニヒリズム』を、毎ページが赤線で真っ赤になるほど頭に刻み込むようにして読んだ。しかしいま思うと理解し得たのかどうか定かではない。 この一文はとてもわかり易く、すっと理解した。 概要は、西欧文明のなかで、キリスト教がかつてほ…

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山川宗玄師の講話を聴く

たまたまNHKこころの時代という番組で、禅の師家である山川宗玄さんの講話を聴いた。どうも3年前の再放送であったようだ。しかし示唆に富んだお話で、久しぶりに心がおどる思いがした。 師の修業時代の話が紹介され、そこで限界を超える体験をされた。その内容が興味深い。 禅道場に入門したばかりのころのようだ。雲水の生活は隅々まで規律があって、座禅以外にも作務や食事、師との問答などすべてにわたって…

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「苦」を苦にしない態度

自分は苦しんでいた。 なにか報告書の文章をまとめなければならないのだが、 どうも文章がさだまらない。というか平凡なつまらない 文章になっていて、それをなんとかいい文章にしたいと 藻掻くのだが、どうも頭が回らなくて、思考停止に 陥った感じで進まないのだ。 うまくいかない、しかしそれを打破できないということで、 煮詰まって苦しんでいた。 そんなときにふっと目が覚めた。 うまくま…

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ほんとうに大切なことは見えない

映画『羊たちの沈黙』に、こんな言葉が語られている、とメモにある。「根本に目を向けろ。根は一つだ」。この映画は見たはずなのに、どんなシーンで言われたのかは記憶にない。 本当にたいせつなことがらは、見えないのだと思う。 大切なことがらは、根本にあるからだ。 眼は見る器官だが、眼自身を見ることはできない。どうように、自分を支えているものは自分では見えない。自分はその根本によってあとで生ま…

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上手くいったのは善因善果

つまらぬことを書いておこうと思う。 気になることをメモとして。 なのでお忙しい方はスルーしてください。 仏教の教えとして、因果応報の真理ということがよく語られる。上手くいったのはよい原因を作ったためであり、上手くいかなかったのは悪い原因を作ったためであるという内容だ。 本当にそうなのだろうか。 この因果応報の話を聞くたびに、自分は疑問に思う。 上手くいったとは、自分の都合…

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信心について

旧統一教会との関わりを持っていた若い頃、いつも心のなかで渦巻いていたのは「人生の意味」についてだった。それは同時にある種の宗教的な問いである「はたして神は存在するのか」とも結びついていた。人生の意味を改めて問うということは、神の不在とかかわるからだ。神が存在しそれを信仰できる人に、人生に意味への問いの悩みがあるわけがない。 30年余りの迷いの終着点として行き着いたところは、はたして何であっ…

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旧統一教会の名前が報道されるたびに(4)

旧統一教会の横浜支部をあとにして、トボトボと坂道を下っていったときに、もし神を信じることができたなら自分の抱えた悩みも一緒に解決したのにな・・・と思った。 だがしかたない、神の存在を受け止めることができなかった以上、なぜ生きているのだろう、何のために生きているのだろうという疑問を胸にいだいたまま放浪を続けるしかない。 思い切って崖から飛び降りる覚悟で、あちら側(教会側)へ飛び込んだら…

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旧統一教会の名前が報道されるたびに(3)

横浜教会支部で、入信を迫られたときに、いやこれじゃないと強く感じたことがらについて書きたいと思う。 あのときに受講したセミナーで、神を信じることができたならば、おそらく自分は入信したと思う。しかしながら神というものの理屈(理論)はわかったけれど、神の体験がなかったということになる。 ヘーゲル流に、人間存在や神について理路整然と述べ立てられても、それで人間は変わるものではない。頭の知識…

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旧統一教会の名前が報道されるたびに(2)

旧統一教会の横浜支部に顔を出すようになって、しばらくすると短期セミナーを受けないかという誘いがあった。2泊3日程度だったと記憶するが、そこで集中的に学べばもっと詳しく教義を知ることができるという触れ込みだった。けっきょくこの短期セミナーに参加することになった。 当時、統一教会の教えを「原理」と称していた。詳しくは原理講論という分厚い統一教会のバイブルに書かれているのだが、この入門部分の講義…

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旧統一教会の名前が報道されるたびに(1)

昨年の7月に安倍元首相が襲撃される事件が起きてから、旧統一教会への献金の有り方に関しさかんに報道されるようになった。じつは旧統一教会とはかつて関わりがあったので複雑な思いを抱く。といっても自分は旧統一教会の信者であるわけではない。 発端は、横浜の雑踏の中でいきなり「神についてどう思うか、いると思いますか?」と問いかけられたことから始まった。学生時代、通学の途上で横浜で乗り換えていたため、西…

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あれから10年が経った

ほぼ10年前にあたる2012年12月2日(日)に、中央道の笹子トンネルの崩落事故が起き、9名の犠牲者が出た。この事故のことをよく思いだすのは、事故が発生したちょうど1週間前に、母を車に乗せ、長野から横須賀へ笹子トンネルを抜けて車を走らせていたからだ。トンネル内の天井板が12mにわたり路面に脱落したのだが、原因としてはトンネル内の上部天井から天井板を吊り下げていたボルトの劣化等によるボルト抜けであ…

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遠藤周作さんのエッセイ「信仰と死の恐怖」から

「死について考える」という遠藤周作さんのエッセイ集のなかの「信仰と死の恐怖」という一文が面白かった。 迷いの深い人間、悪いことをしている人間、従容として死ぬことを立派と思いつつも、それができない人間、そういう人間の方が、仏教やキリスト教を勉強する傾向が多いのではないかと遠藤氏は語る。 しかし、宗教を学び宗教を信じて、ある程度の確信が持てても、いざ自分が死に向き合ったときに、何も勉強し…

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選択することではなく、すでにそうなのだ

前日記では、ある方から問われた「パニックにならない理由」に関して語ったことを記した。しかし、その方の返事というか反応が、そのあと妙に気になった。 つまり、相手は納得したような、しないような声で、「OASIMさんは、そのように考えるわけですね?」とつぶやいた。自分の考えは違うのだけれど・・・とも言いたげに。 しかしそれはOASIM自身の個人的な経験により、そのような考えに至った、という…

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どうしてパニックにならないんですか?

ある方からこのように問われた。 おもいがけなく食道がんが見つかり、ステージⅢに進んでいると診断され、さっそく抗がん剤治療から入ったわけだが、そのときの心境について訊かれたのだ。 若いころであったら、自分の死が迫っている状況にあるとわかれば、きっとパニックになったり落ち込んでしまったりしただろうと思う。 問いかけた方も、自分だったらそうなってしまうとのことで、普通でいる当方の姿勢が不…