「筑波哲学 31号」に寄せて

およそ一か年かけた小論を昨日まとめ上げ、筑波大学紀要向け投稿しました。表題は「対象認識と意味、表現の起源」です。
日本語は外国語に比べて語彙が豊富だと言われていますが、しかし、それでも森羅万象を表現するには足りません。また、言葉は、哲学では一般に本質と言われているところの、物の奥底に達することはできません。そもそも私たちは物からは現象しか与えられていないので物そのものを、敷衍するなら物事の真相を観ることはできないのです。だから、佛教では不立文字と言って、言葉の彼岸に真理を求めます。しかし、物事は言葉で語らざるをえないので、真理を解き明かすのに例えば禅問