日本書紀を読む 142

  

 十一月の甲午の朔癸卯(十日)に、対馬国司が使を筑紫大宰府に遣して知らせてきた。

「月生(つきた)ちて(朔日)二日に、沙門道久(ほふしだうく)・筑紫君薩野馬(さちやま)・韓嶋勝娑婆(からしまのすぐりさば)・布師首磐(ぬのしのおびといは)四人が、唐より帰ってきて言うには、

『唐国(もろこし)の使人(つかひ)郭務ソウ(くわくむそう)悰等六百人、送使(おくるつかひ)沙宅孫登(さたくそんとう)等一千四百人、総合(す)べて二千人、船四十七隻に乗船して、倶に比知嶋(ひちしま)に停泊して、相謂りて言うのには、今、我が方の人と船の数が多い。突然彼