「いのちが自分となって生きている」と腹の底からわかるなら

以前師匠からきいたこと。

私は宗教の門をたたく人は
苦しみや悩みがある人ばかりではないか
と考えていたのだが、

そうではない人もいますとのことだった。

悩みがないのに宗教の門をたたく人、
道を求めるってどういうことなんだろう・・

自分はもちろん悩み苦しみからの解決のために
宗教や道を求める類の方だ。

師匠が言われるには

ブッダは何不自由なく暮らしていた。
自分の悩みなどなかったことだろう。
あるとき城の外にいた老人や病人そして死人をみて
なぜこういうものがあるのか?
と疑問をもったのが、
道を求めるきっかけだった。

師匠や西谷啓二さんのよう