「死後」の日記一覧

会員以外にも公開

先日、法事が有った。 問われた「死んだらどこの墓に入りたいのか?」 「その様な事は生き残った人が決める事だろう、死んで行く人が決める事ではない」 「電車の中に置き忘れてもイイぞ」 困った顔をしていた。 後で考えた最近の電車は長距離で終点が埼玉とか栃木が多い 知らない街の忘れ物置き場も気持ちが悪いどうせなれ県下行きにしてもらいたい。 芦ノ湖の遊覧船がいいかなぁ

会員以外にも公開

死んだらどう葬られたい ?

(日本経済新聞「くらしナビ」・・頭木弘樹「土葬か火葬か星か」’21年10/26 夕刊より) 正岡子規は、その著「死後」(青空文庫)の中で、「死後の葬られ方」を綴っている。かいつまんでみるに ① 火葬 手や足、頭に火が回ったら痛そうだし、傍で見ている方も辛いに違いないからイヤ ② 土葬 穴に落とされ土で踏み固められる。その上に墓石が乗せられるなんてたまらない ③ 水葬 自分は泳げないし、水をガブ…

会員以外にも公開

名を残す

同級の一人に、企業から派遣され、 ケンブリッジで研究を数年やった人がいる。 ホーキングさんと同じ場で研究し、 昼食時に何度も見かけたと言っていた。 彼の自慢は、自分の研究論文が、 資料室に残っていること。 派遣から会社に戻り、 外国企業との共同チームのリーダーとなり、 プロペラ開発に乗り出す。 その時のストレスで、アル中が酷くなり、 結局、会社を辞めることに。 大学に戻ればいいのに、 教…

会員以外にも公開

何を残す

死んだ後、自分の足跡(業績)を残したい、 と思う人は多い。 私は、むしろ、自分を消したいと思う。 ただし、子どもたちの思い出まで奪わないが。 この件を考えるとき、いつも思うのが、 下記の出来事。 https://ameblo.jp/ringokoringo2/entry-12379452299.html 23歳の若者が切腹した。 実に見事な死に方。 後世への土産。 武士のかがみのような人。…

会員以外にも公開

神のいない死後

(自分の勝手な考えなのでご了承ください***) 周囲にいる数人から 「死んだら自分は無になる」 と聞いたことがある。 だから生きている今 やりたいことをやり精一杯生きるのだと。 この人たちの立場は 「死後は無になる」と思う自分と同じだなと 思ったりしていたが、 重大な違いがあることに気づいた。 前者の人たちは ''神はいない''と考えているということだ。 死んだら無になるところまでは…

会員以外にも公開

悪人ぶりが徹底した人の死後観

前の日記で、 「お任せなので死については考えない」 という姿勢に落ち着いたと書いたのだが、 この言葉の中には、 地獄にどうしても行きたくないという 思いほどではないにせよ、 やはりまだ、 死後には不快な思いをしたくないという 臭いが漂っている。 こうした中途半端な姿勢が どこから生まれるのかというと、 自分の悪人ぶりの不徹底さからだ。 これとは違って、 自分は地獄行きは決定している と…

会員以外にも公開

死後についての姿勢

嫉妬の解決の糸口は 自分の我欲に満ちた姿に気づくことだったが、 このことは死後に対しての姿勢にも いえるのではないか。 たくさんのものを頂いているのにもかかわらず、 「もっと欲しい」 「もっとよこせー」と怒っているのが 嫉妬であるが、 このことは死後についても言うことができる。 私はキリスト教から離れたことで、 地獄の恐怖が起きてしまい、 一時は悪霊が見えるほど怯えていた。 死後に地獄や…

会員以外にも公開

血を巡らしてくれている方の存在

クリスチャン時代の影響なのかもしれない。 なにか、まだ、 死後に対する不安があったことに気づかされた。 仏さまや阿弥陀にお任せしたなどと言っていたけど、 任せてはいなかったのだ。 ほんとうに任せたかどうかの指標は 私の場合、死後に対する不安があるかどうかだ。 もし少しでも 不安らしきものがあるとすれば、 心の奥底では疑いを抱いていることになる。 さて、そんなこんなでいたのだが、 最近本…

会員以外にも公開

不安感がまだあったことに気づいたけど

死後について絶対的な安心感に至ったと 前の日記に書いたが、しかし、 自分のこころをよくよく調べてみると、 まだ不安が漂っていることに気づいた。 もしかしたら、 死後の世界があるのかもしれない、 魂のようなものがあってそこへ行くのかもしれない、 という恐れのような怯えのようなものが 自分の中に存在している。 でも、 自分にはそれが何なのか把握することはできない。 かといって、 キリスト教の…

会員以外にも公開

魂と死後の世界 (自分のためのメモ)

死後の世界、それに死後も存続するといわれている魂のことについて、お気に入りさんがたくさん記述している。 自分はなぜか、そのような議論に関心はいだきつつも、議論には熱が入らない。その冷めた感じは、他人事のよう。 他人事と書いたが、厳密な意味でも、それは自分のマターから外れた、非自分のことがらに感じているからだ。 死の世界とは、生の世界から少しはみ出して、ぼんやりと踏み込んでしまう異境の世界なの…

会員以外にも公開

もうやめよう

キリスト教から離れた私は 死後裁かれて地獄へ行くという 恐怖でいっぱいだったのだが、 さきほど あれほどがんじがらめになっていたこの問題に ピリオドが打てた。 私の手に負える問題ではないから 考えるのはもうやめよう。 これが私が至った結論だ。 理由として、 死後云々するということは 魂があるという事が前提である。 「魂はあるのか? それともないのか?」 ここが最大の争点だったのだが、…

会員以外にも公開

魂はあるのか

私は多くの偏った考えを持っていて、 それのために生きずらく生きていたわけだが、 その中でもっとも私を苦しめていたのは 死後のことについてだ。 死後についてはだれもわからのないので、 みな不安に思っているのだろうが、 私の場合、キリスト教の死後観が 植え付けられているので、 より一層不安感を増していた。 不安を通り越して恐怖心といった方が正しい。 キリスト教によると死んだあと肉体はなくなるが …

会員以外にも公開

死後については

キリスト教から離れてしまったので死後裁かれる という恐怖でいっぱいになったときに さんざん考えた挙句、 死後「なおこ」はいなくなるのだから、 今の私には死後のことは関係ない という結論に落ち着いた。 それでもう、死後については自分の中で 決着がついていたと思っていたのだが、 まだ、不審や不安の念がふすぶっていたことを発見した。 死後私はどうなるのかという 怖れや不安の種は 一掃されてはいなか…

会員以外にも公開

死の恐怖からの解放

キリスト教から離れてしまった者は 背反の罪によって、 死後、地獄に落ちるのではないか という恐怖でいっぱいになった時があった。 その後、 ある思いによってその恐怖から解放された。 その思いとは、 死んだなら 「なおこ」という人間はいなくなる。 今の脳や感覚器はバラバラに崩壊するのだから、 もし死後に火焔地獄があるとしても、 いまと同じように感じたり見たりすることはない。 生きている私が …

会員以外にも公開

死後がたいへん

死は楽だけど、 死後が大変。 親父の死後、 まず、家の片づけ。 毎日2~3時間くらいで約4ケ月。 私も何とか体力があったのでできたが、 今では無理。 両親共に、着古した下着(洗濯済)まで丁寧に残している。 靴などは、一生の間使ったもの全てか感じた。 母も祖母も着物類も多く、 再利用できないものばかり。 しかし、遺品は一つ一つ手に取ってみた。 ゴミは分別しないといけない。 母は裁縫が趣味だ…

会員以外にも公開

もう一度達磨安心の意味を考える

死後は無になるとわかってから、 キリスト教の地獄思想から来る恐怖心が取れたと 喜んでいたのだが、 まだ死後に対して不安が起きることに気づいた。 キリスト教の呪縛から開放されたのに なぜ不安が起きるのだろう? ずっと考えていて、ふと思い浮かんだ。 死後は無になるとわかっても、 そのことだけがわかっただけで、 死後の世界がどういうものか 100%わかっているわけではない。 未知のものや不可…