「嫉妬」の日記一覧

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あなたは誇ることなどできないのだよ

少し前のこと、 あることで嫉妬の思いが湧いたときのこと。 不愉快さや嫌いという思いも、 時間の経過とともに消え去ったのを確認していたので、 そのときも、 ああ、また湧いて来たな。 じき流れ去っていくことだろう と待機する姿勢だった。 しかし、かたわらで やはりいい気分がしないので、 どうやったらこの気持ちが収まるのだろう などと考えたりしていた。 とそのと…

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見ているだけだったのか、がんじがらめだったのか、どっちだろう?

半日 嫉妬する自分を認めて ただ見ていることをしていたのだが、 ずっと嫉妬しっぱなしだった。 洗濯物を干しても 書道の練習をしていても ご飯を食べているときも 顔はこわばり 眉間に緊張が走ったり とてつもなく苦しかった。 この状況・・ 単純なる嫉妬なのだけど、 あまりに激しいので 間断なく起きてしまうのは仕方ない事 と捉えていいのだろうか? それとも 無意識にはからいをやって …

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嫉妬を起こす自分を認める

嫉妬を治そうなくそうと 異様に執着しすぎていたということに 気がついた。 以前に師匠からいただいたアドバイスの メモ書きがあったのだが、 それを思い出したのだ。 【血管の体験により、 頭で考えていることを超えて身体は いのちの営みに満ちていることが明らかとなります。 それでいながら嫉妬が止まらないのは、矛盾です。 しかし人間の存在は、 そういう矛盾を内包している存在であることも事実。 親鸞…

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自分のあり様

自分のあり様・・・ 欲によって濁った眼で世界を見ている。 現実とは違う妄想や虚飾にまみれた世界のなかに 生きている。 自分が1番ではないのに(現実)、 1番になりたいので(欲望)、 世界を捻じ曲げて見て、 それに基づいた言動を行う。 ーーたとえば習い事などで。 自分は1番であるはずなのだから 先生がほかの生徒を褒めるのはおかしい。 この私を1番に認めろ‼と。 実力行使こそしなくても、 心の…

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勝った時だけ価値がある

嫉妬をやめたいのにやめられない どうしたらやめることができるんだろう・・ ゆうべ、 お風呂に浸かりながら ずっと考えていた。 以前師匠からいただいたアドバイスを思い出した。 嫉妬は激しい競争心から生み出される。 負けたときの怒りである。 目が吊り上がり、肩がいかり、 動悸がするほどの怒り。 なぜこんなにも激しい怒りが生じるのか。 それは負けると 自分の命を奪われるぐらいに 脅かされると…

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嫉妬が起きて落胆のため息が

書道教室のことです。 これまで完全に個別指導だったが もう一人の方とときどき一緒にやることになった。 先日主人の迎えを待つ間 室内に待機していてその方と重なった。 30代ぐらいの主婦のかたで初段に挑戦中だ。 作品を見せてもらうと 美しい端正な文字で見入ってしまった。 そのときは ''なんと上手なんだろう'' とため息が出ただけだったが、 帰宅してしばらくすると 嫉妬の感情が沸々と湧きあ…

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嫉妬しなかったこと、したこと の思い出

〇〇交換とかいう体験談を読んでいたら、嫉妬がおおきなウエイトを占めていた。 そこから、自分の嫉妬について思い出したことがあった。 新婚時代、妻がバス通勤の時、山の本を読んでいたら、話しかけてきた青年がいた。その青年が、我が家にきたのでした。妻に気があるとかでなくて、山に向けてのトレーニングの話しをしたかったとか。 私の父は、怒っていたが、私は、なぜか怒りもなく、嫉妬も沸かなかった。 妻に対し…

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悔しい気持ちを飲み込んでしまうクセ

再び嫉妬の嵐に巻き込まれた。 がんじがらめ、まったく進展しない状況下 どうすればいいのか なにが原因なのだ? と悲観に暮れながら考えた。 たとえば夫が他の女性を褒める認めるというときに 不快な感情が起きる。(これが嫉妬なのだが) 普通の人はここでおしまいになるのだろうが、 私の場合 怒りのために眉間が痛くなったり、 肩こりがしてきたり、 何もできなくなるほどにぐったりとしてしまう。 なぜ…

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人の愛情や承認など取るに足りないことになってしまう

キリスト教徒のときには、 逐一 「神様を信じます」 と祈ったり言ったりしてきたが、 それは本当の信仰ではなかったなと 振り返る。 信じますというのだから 信じていたのではないかと思われるが、 ほんとうの信心を得たいまだからこそ、 それは偽りの信心だったということが明確にわかる。 その違いとは 一言でいうと 偽りの信心とは みずから信じることで、 ほんとうの信心は やってくるものという…

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どんなところが無駄骨なのか

前の日記で これまで探求してきたことが 無駄骨だったと書いた。 何を探求だったのかというと、 「快適さの追求」と書いたのだが、 すこし乱暴な言い方だったので 加筆したいと思う。 快適さの追求は誰もがみな持っている 当たり前のことがらで、 それがすべて煩悩かというと そうではない。 たとえば、 暑い時にクーラーをかけて涼む場合、 暑いので涼しさという快適を求めるわけだが、 私の理屈からす…

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脚光を浴びなくてもよくなってきたのだろうか?

仏心への信心が定まったなら 生き方が変わるのかもしれないが、 いまはほとんど集団に属していないので、 嫉妬心などが出なくなったのかよくわからない。 ただ実生活で変わったところがちょっとある。 ひとりでレストランなどに 食べに行くのが好きなのだが、 仕切りがあって 半個室のようになっているところだと 平気なのだが、 オープンな空間で食べるときには いたたまれなくなっていた。 ほかの人たちが …

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嫉妬という心理 (自分のためのメモ)

お気に入りさんの日記に、「嫉妬はだれが起こすのか?」という問いかけと見解が書かれていた。 仏教の教えによれば、嫉妬や瞋恚、貪りなどは煩悩とされ、みずからが起こすものとされている。 ほんらい無であるわれわれの心には、そのような煩悩はなく清浄なものであるのに、無知無明の中にいるものはそれを起こして本来の心を曇らせてしまい苦しむとブッダは説いている。 常日ごろ、心の掃除をして私心はないか、私利私欲…

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嫉妬はだれが起こすのか?

お気に入りさんから、 「嫉妬は仏心が起こすのではないですか?」 というコメントをいただいた。 私も以前、 それと同じように考えていたところがある。 さまざまな縁によって 今の自分となっているのだから、 嫉妬も、 嫉妬する縁にあったから起きてしまったことで、 勝手に湧いてきたものではないか。 だから自分が起こしているのではない。 と。 しかし いまは違うとはっきりということができる。 そ…