「高田屋嘉兵衛」の日記一覧

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菜の花の沖

菜の花の沖 「菜の花の沖」は、司馬遼太郎さんの作品です。 江戸中期のロシア海軍のゴローニン艦長が幕府に逮捕された「ゴローニン事件」の解決に尽力した高田屋嘉兵衛さんの話です。 私は、 高田屋嘉兵衛の話が好きです。 長年、「菜の花の沖」とは、淡路島の西側の播磨灘のことだろうと思っていました。 昨夜、深夜、司馬遼太郎さんの講演録を「音読」していたら、次の一説が出てきました。 1985年5月に淡路の洲…

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菜の花の沖、第4回、ゴローウニン事件解決の後のこと

菜の花の沖、第4回、ゴローウニン事件解決の後のこと ゴローウニン事件が解決した後のことについて述べたい。 嘉兵衛さんは、事件の解決のため奔走し、カムチャツカや北方領土での寒さのため、健康を害してしまった。 そこで、高田屋の事業の一切を弟たちに任せて事業から引退し、故郷の淡路に帰ることにした。 一方、公儀(幕府のこと)は、嘉兵衛さんがゴローウニン事件の解決に尽力したことを高く評価し、 感謝状と金…

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菜の花の沖、第3回です。船の話

菜の花の沖、第3回です。 高田屋嘉兵衛さんの話をつづけたい。 高田屋は、江戸中期の商社であり、海運業者であり、さらに北洋漁業もしていた。 兵庫の港を出て瀬戸内を進む北前船で運ぶ商品は、灘の酒、赤穂の塩、伊予のかすり、鬢付けなどであり、 各地で物産を仕入れた。鬢付けは、ちょんまげや島田をきれいに整えるための整髪料である。 瀬戸内から日本海沿岸を回り、北海道まで行く。当時は蝦夷地という。ゴローウ…

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司馬遼太郎と「菜の花の沖」

司馬遼太郎と「菜の花の沖」 司馬さんの「菜の花の沖」は私の一番好きな作品である。 日本史の教科書にもゴローウニン事件として出ている。 1811年に国後島に上陸したロシアの軍艦の艦長ゴローウニンが、 日本の警備兵に捕らえられて箱館・松前に監禁された。ロシア側は、翌年、択捉航路を開拓した淡路島出身の 商人高田屋嘉兵衛を抑留したが、1813年に嘉兵衛は送還されて、彼の奔走でゴローウニンが釈放されて事…

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私は知らなかったのですが、皆さんは?! (?_?)

先日日記に書いた「司馬遼太郎作、菜の花の沖」 その主人公の「高田屋嘉兵衛」の歌があることを、ある方から教えて頂き・・・。 《どえりゃ~~~あ、驚きましたわ!!》 驚くわ、ちょっと笑うわで、「日記に書こう!」と思って更に調べると、一つだけでなく、まだあった!! またまた。 《どえりゃ~~~あ、驚きましたわ!!》 私は全く知りませんでしたが、皆さんはご存知でしたか?! ↓ https:/…

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高田屋嘉兵衛は日本を救った男

江戸の理系力シリーズの派生です。 理系ではありませんが、北海道開拓の、最上徳内や近藤重蔵が出ましたので http://sskmszm.com/?p=15027 北海道と言えば、最上徳内と近藤重蔵 そうなると、この人は忘れちゃいけません ■■高田屋嘉兵衛■■ 高田屋嘉兵衛(かへえ)は船乗りで商人 淡路島で産まれます 私と同じ兵庫県民ですね 農業だけでは食べていけなかったので、奉公に出ます。…

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只天下のためを存おり候

生田美智子の「高田屋嘉兵衛−只天下のためを存おり候−」を読了した。著者は、大阪大学大学院言語文化研究科教授で、専攻はロシア語である。本書は、司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公である高田屋嘉兵衛に関する評伝である。内容は以下の通り。  第一章「淡路に生まれて」:淡路島の都志で生まれてから、故郷を出奔するまでで、少年時代に、潮流を読む眼を養ったこと、ふさとの大恋愛等が描かれている。  第二章「兵庫で…