「懐かしい思い出」の日記一覧

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お節句ですね

明日から 5月 我が家は 男の子 2人だったので 兜飾ったり、、 思い出 ですね もう子供たちも アラサーで 1人は 家も出たし もう何十年も お飾り することも ないですけど 慌ただしく 子供の 身の回りのこと いろいろ していた時間 いまは 懐かしく 思い出されます 駅…

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憧れの人   あま〜い 思い出

・・・あなたがね 何年生の時に こんな事があったよ・・ いくつかのエピソードを、その人に伝えました。 ある日の同窓会の時です。 その女性は、私が小学中学と、憧れ続けた人でした。 ・・・わたしは 覚えていないわ      なぜ そんなに 覚えているの?・・・ それは私が、あなたの事が大好きだったからだよ、 ・・・もっと わかい時に 知っていればねぇ・・・ …

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涙の カツ丼

中卒で床屋になり、二年目のことでした。 月給が千三百円から千八百円になった頃です。 休みの日の予算は百円、映画を見て貸本を借り 隣の、うどん屋さんから十円のかけうどんを 出前してもらい、それをおかずに冷や飯を食う いつものパターンでした。 おひつを覗き込むと冷やご飯がありません。 今夜は、うどんだけかと覚悟を決め、うどん屋へ ちびちびとおしみながら食べていると、そこへ 酔っ払いの、おっ…

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うれしかった日

 昨日、いつもの様にとれとれの湯に行き、帰りに玄関を出て、あまりの暑さにマスクを取ると、すれ違う男性から「○○先生」と声を掛けられる。全くの見ず知らずの人なので、ちょっと警戒すると「○○です。覚えています。」1~2分頭フル回転。  31年前、6年生の担任だった頃の教え子で、その当時肥満気味だったので、普通体系になっていたので「おお、痩せたな。」と余計な一言、もっとましな返しなかったのかと反省。 …

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飯野山日記  25日 アーサーアンタギーの思い出

朝の連続ドラマ「ちむどんどん」でのアーサーアンタギーが画面に出て来た時に思わず、私にアンアタギーの作り方を教えてくれた人を思い出しました。 彼女は法隆寺に住んでる時のおむかいさん。 喜界島出身でして、「お茶飲まない?」とよく声が掛かりました。 出かけますと、おやつの時間かと思ってるのに煮魚が出てきたり、夕飯のおかずのようなものが出てきて驚かされたものです。 魚と言っても熱帯魚? と思えるような…

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君いとしき人よ

1952年(昭和27年)にラジオドラマとして放送を開始したものである。 この頃の我が家の生活は朝早くから母が薪を割りおくどさんのおかまに湯を沸かすことから一日が始まっていた。 ご近所さんもみんな貧しかったがお互いに仲良く助け合って生きていた。 そして一般に普及し始めたラジオを町内の電気屋さんで安く組み立てていただき音は悪かったが家族で耳を傾け楽しんでいだ。 「君の名は」の中身についてはあまり記憶…

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さぬきふじの飯野山日記 5日 訃報続きの後にうれしい便り・・・

広島の友人とは時々メール、年賀状のやり取りですが正月明けの電話。  声を聞くのも久しぶりにて話が弾みました。 すると、昔仕事で一緒だった人に私の事を年賀状に書きましたので、1度電話してみてね・・・との事。 私がまだ奈良に居ると思ってるから驚くだろうと言われた。 その彼女の話をしてると、段々昔の事が思い出されてきます。 https://ameblo.jp/rsc42513/entry-1…

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鹿追蕎麦

店の前に鹿追蕎麦と書かれていたので立ち寄ってみた蕎麦屋さんだった。入口からいきなり座敷という不思議な間取りでビックリした。脇を入ると居酒屋風の店内でややめんくらった。 カウンターで待ちながら出されて来たのは間違いなく鹿追蕎麦だった。揚げ餅蕎麦を戴いた。懐かしいような素朴な味が嬉しかった。 鹿追町は私の叔父が町会議員を長く務めたところだ。鹿追町を離れ北広島に移住した途端に亡くなってはもう10年…

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懐かしい・・・^^

昨日○○市と言う所の昼間のパーティーに初めて参加させて頂きました 天気も良かったし、何か期待とでも言うんでしょうかっ! 何かいつもと違う感触での参加でした 時々通る道 東海道新幹線のガードの下をくぐり会場に向かう道 何時もは他の会場何ですが、ガードを潜り抜けるまでに新幹線の列車が通ると何か今日は良い事が有りそう・・・ なぁ~んてねっ! 勝手に占いみたいなことをしていました 昨日もその道を通…