「死の体験」の日記一覧

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人は孤独だ

人と人は理解し合うことができるだろうか。 理解するとは、こころが通じ合うこと。 相手に理解された、分かってもらえた、あるいは、 相手を理解した、分かったと、感じたとしても、 そのほとんど、たぶん全部が、 誤解や思い込みや一時的錯覚にすぎない。 人と人は理解できるのだろうか。 たぶん、言葉を媒介にすると、 まず、不可能だろう。 言葉は、限られた内容を伝えることしかできない。 言葉は、伝達手…

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やるせなさの中身

死ぬということを実感した時、 私は何とも言えないやるせなさを感じた。 やるせなく感じる ということの中身を見てみると、 そこにあるのは 「参加しないやるせなさ」 というような感じかもしれない。 周囲は変わらず営まれているのに、 自分だけがそこにいない、 寂しさ、いたたまれなさ。 それまで自分は 世界の中心にいると思っていた。 自分がいなければ回らないくらいに考えていた。 もし自分と世界と…

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死の体験のはじめは~その1

(死についてばかりなので 不快な方もいるかもしれませんが、 ここが肝なのでご了承を‼ 備忘録として書いています) 先日、 夕食後のお茶椀を洗っているとき、 京都アニメ会社の火災から、 我が身の死の実感をして それ以来人生が180度転換したと書いたのだが、 じつは、死の体験のはじまりは もっとずっと前だった。 「自分がいなくなる」 ということの実感ともいうべき体験は、 キリスト教の影響で死…

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福島智さんの死の体験

死の体験について書かれている宗教書が あまりなくて、何かないかなと探していたとき、 友人から「福島智さん」を紹介してもらった。 盲ろうの東大教授として有名な方だ。 彼の著書を3,4年まえに買って読んだときには、 素晴らしいことが書かれているなあ、 ぐらいにしか受け取らなかったのだが、 今読んでみると、 彼も死の体験をされた方なのだなということが よく伝わってくる。 目が見えなくなり、 やが…

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死んだなら

死んだなら、 形もなく、色もなく、音もなく、 匂いもない世界が待っている。 暗黒ですか? ある僧侶に問いかけると、 「暗黒は暗黒という色がある、 死はそういうものもないのですよ」 といった。 無か・・・・ いや。 無というものも存在するものの一つだから、 それも違う。 言葉にもならない世界、 なんにも体験する事の出来ない世界。 もう二度と… 「もう二度と」という言葉が 私を…

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「自分は死なない」という思い込みがあるから

死を思って生きていますか? いわゆるメメントモリだが、 そうした質問をするなら、 自分もそうだが、たいていの人は もちろん思っていますとも‼ と答える。 しかし、 その死は10年先20年先など 「いつか訪れる」死であり、 自分からはかけ離れている。 自分からかけ離れた死は しょせん他人事の死でしかない。 次のある僧侶の書いた手記に ビクりとする。 【諸行無常ということをいちばん意識し…

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嫉妬の縛りから私を解放してくれたのは

以前の事だが、 いつものように、 嫉妬でがんじがらめになっていた時、 道を歩いていると 不思議なことが起きた。 そのことがゆうに、一週間くらい 頭の中から離れることがなかったのに、 何かの拍子にふっと視線が外に行き、 以前体験した死の体験が蘇ってきた。 死の体験とは、 キリスト教の影響からくる 死後の地獄の恐怖で、 戦々恐々としていた毎日を 送っていたときのこと。 死後自分はいなくなる…

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生きているだけで丸儲け

(自分の気づきです***) 「生きているだけで丸儲け」 とは、 タレントの明石家さんまさんの言葉だ。 1985年の御巣鷹山墜落事故を起こした 飛行機に乗るはずだったが、 仕事の都合でひと便遅らせたために助かった。 その便に乗っていたなら自分も死んでいた。 命があるだけで有難い。 「生きているだけで丸儲け」という言葉の由来だ。 そこから娘に「いまる」と名づけたという。 これこそが宗教の体…

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死の体験とは

事故に巻き込まれなくて 死を免れたというような体験をしなくても、 死が自分のこととして迫ってくるということ。 当てはまるかどうかわからないが、 以前、そうした体験をしたことがある。 さきほどコメントの返信にも書いたのだが、 自分がこの世からいなくなることの いたたまれなさ、やるせなさ という表現をしてもいいのであるなら、だが。 周囲は、 日は昇り日は沈み‥ 家族はご飯を食べて、仕事や学校へ…

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ほんとうは死にゆく惨めな存在であるのに

(自分の気づきです***) 大部分の人が 他人は死ぬが、 自分だけは死なないと思っている。 ほんとうは 自分は「死にゆく惨めな存在」である。 いつ死んでもおかしくない。 これが現実の姿である。 しかし、 自分は明日も明後日も生きているはずだと思って、 のんべんだらりと生きている。 本当ならうかうかとしてなんていられない。 ほんとうにその事がわかっているなら いまのようになんてしてはいら…