菜の花の沖、第4回、ゴローウニン事件解決の後のこと ゴローウニン事件が解決した後のことについて述べたい。 嘉兵衛さんは、事件の解決のため奔走し、カムチャツカや北方領土での寒さのため、健康を害してしまった。 そこで、高田屋の事業の一切を弟たちに任せて事業から引退し、故郷の淡路に帰ることにした。 一方、公儀(幕府のこと)は、嘉兵衛さんがゴローウニン事件の解決に尽力したことを高く評価し、 感謝状と金…
菜の花の沖、第3回です。 高田屋嘉兵衛さんの話をつづけたい。 高田屋は、江戸中期の商社であり、海運業者であり、さらに北洋漁業もしていた。 兵庫の港を出て瀬戸内を進む北前船で運ぶ商品は、灘の酒、赤穂の塩、伊予のかすり、鬢付けなどであり、 各地で物産を仕入れた。鬢付けは、ちょんまげや島田をきれいに整えるための整髪料である。 瀬戸内から日本海沿岸を回り、北海道まで行く。当時は蝦夷地という。ゴローウ…
司馬遼太郎と「菜の花の沖」、第2回 菜の花の沖の話をするのは楽しい。多分、魂が清清しい嘉兵衛さんの話へ繋がるからだろう。 小説のタイトルになった「菜の花の沖」については、 当時、日本の夜の家々の明かりは、菜種油である。菜の花からは油が採れる。淡路でも農家が、菜の花を栽培していた。 神戸や六甲でも黄色の菜の花をたくさん作っていた。六甲山の急斜面には、短い川がたくさんあって、水車小屋があって、 そ…
司馬遼太郎と「菜の花の沖」 司馬さんの「菜の花の沖」は私の一番好きな作品である。 日本史の教科書にもゴローウニン事件として出ている。 1811年に国後島に上陸したロシアの軍艦の艦長ゴローウニンが、 日本の警備兵に捕らえられて箱館・松前に監禁された。ロシア側は、翌年、択捉航路を開拓した淡路島出身の 商人高田屋嘉兵衛を抑留したが、1813年に嘉兵衛は送還されて、彼の奔走でゴローウニンが釈放されて事…
先日日記に書いた「司馬遼太郎作、菜の花の沖」 その主人公の「高田屋嘉兵衛」の歌があることを、ある方から教えて頂き・・・。 《どえりゃ~~~あ、驚きましたわ!!》 驚くわ、ちょっと笑うわで、「日記に書こう!」と思って更に調べると、一つだけでなく、まだあった!! またまた。 《どえりゃ~~~あ、驚きましたわ!!》 私は全く知りませんでしたが、皆さんはご存知でしたか?! ↓ https:/…
司馬遼太郎作品。 読んでいるような、初めてのような。 読んでいたとしても、かなり以前になると思います。 その司馬遼太郎作と現在悪戦苦闘中です。 作品名は《菜の花の沖》 江戸時代後期に活躍した廻船業者『高田屋嘉兵衛』の物語です。 読み始めて即座に思ったのは、「面白い!!」でした。 そして次に思ったのは、タイトルの見てきたように○○○。 本当に見てきたというよりも、【本人!!】ではないかと思…
花みかん潜水艦の来てをりぬ 松下章子 カツ揚る沸騰空母沈むさまに 大原テルカズ クーラーのしたで潜水艦つくる 大石雄鬼 くろがねの戦艦ドック星月夜 脇本星浪 このわたや空母ぞろりとみんなみへ 永末恵子 すぐそこに軍艦のゐる金魚玉 関口謙太 まぼろしの空母に種を蒔きゐたり 攝津幸彦 鹿々集 まぼろしの戦艦ゆけりさくら貝 白岩 三郎 ヨットハーバー見…