「人生の岐路・わかれ道」の日記一覧

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人生の岐路・分かれ道

授業に身が入らない。実は二度めの高校生活だった。 地元の進学校に通っていたのが、1年にもならない中途退学。青春時代初めての挫折だった。ちょっとした問題行動を犯してしまったのだ。担任の先生は、同じ高校でやり直す道を進めて下さったが、恥ずかしさが先に立って自主退学となった。 そして受験し直して合格したのが、新設の工業高校。バス通学で一時間近くかかる学校だった。その上、同級生より実質一学年上、事実…

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東京都太陽光パネルは全然義務じゃありません。

「東京に建設の一戸建ては、太陽光発電設置が義務になる」と報道で見て来たが、違うようだ。 記者は、元の法律や条例などチェックしないで記事にするようだ。マスゴミも酷いものです。  東京都太陽光パネルは全然義務じゃありません https://www.youtube.com/watch?v=2ckg_HX_gQg  日本経済新聞の経済に関する記事など、ファンドや投資家の言葉を記事にするが…

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あなたがわたしの人生を変えた!

「あなた」は「教師」で、「人生を変えた」とは「いい人生を歩むことができた」の意味。 いいなぁぁ。 このように感謝されると、教師としてもっとも幸せな気もちになれるのでは。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------…

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人生の岐路・わかれ道 ドロップアウト

私は、69歳。今、とても幸せ。人生を振り返ってみると、幼い頃、育った環境の影響を受け、この世は競争社会だと思っていました。競争が嫌いで、だから、ゲームもスポーツも苦手。競争しなくていい人生を求め探しました。人はなぜ競争するのか?どうしたら、競争のない社会が作れるのかが、人生のテーマになりました。  一浪して大学に入ったものの、中退ではなく初退。大学を辞めると父にいうと、殴られました。父に殴られ…

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ユキワリイチゲも満開

文化園の ユキワリイチゲ 満開でした。こうなると 自生地の ユキワリイチゲが 気になります。 自生地近くの 工場で 積み込みが有れば 早めに行って 寄ってみます神社の 杉林の中なので まだ少し早いかな・・・ 笹の中 ユキワリイチゲが 生えてるが 笹を 刈らないと 判らない。

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貧乏だがハッピー!

低学歴、低収入、低身長の3「低」が僕の人生を代表する。僕の人生の岐路は3つある。最初の岐路は中卒で働き始めたこと。同級生の全員が高校へ進学する中で僕は働き始めた。特技がない15歳の子供ができることは大人の使い走りだけ。やがて免許を取りトラックを運転する。最初は会社の周辺地域。それから地方へ配送地区が広がった。当時は高度成長期で仕事は増える一方。就労時間は毎月優に400時間を超えた。仕事は早朝から…

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「沈黙の春」との出会い

振り返ってみるに、私の人生を決定づけたのは、一冊の本でした。 大学教養課程での社会科学の試験問題は、自ら選んだ本の感想文提出というものでした。たまたま選んだ2冊。一冊は「菊と刀」。もう一冊は、「沈黙の春」。 「菊と刀」は、その後、さほどのインパクトはなかったのですが、レイチェル・カーソン女史著「沈黙の春」は衝撃でした。 その本との出会いと、そのタイミングが、私の人生の岐路でした。 …

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人生の別れ道

そもそも人生に正面から向かい合ったことはない。 大学院の受験の時、面接官から問われた。 「あなたは、なぜ、受験されましたか?」 「学問研究を生涯の仕事としたいからです。」 お尻がこそばくなるような返事です。 いわば、嘘まみれの返答です。でも、合格してしまいました。 博士課程の受験に失敗、その後、公務員試験、教職試験も失敗して、浪人の生活になりました。 どの職も、やりたいものではない…

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人生の岐路は親離れ子離れの涙の連絡船だった。🚢

相撲に柔道それに新聞配達、世界文化遺産に登録されたロザリオの島故郷天草にサヨウナラする時、お別れの挨拶していたら卒業式に遅刻した。 講堂では「仰げば尊うとし」の歌声が流れていた。 仕方がないから職員室に行ったら教頭先生が私を待っていた、全校生徒約1.000名もいるのに遅刻したのは私1人だった。 まだ天草五橋がない時代で鹿児島本線に乗るには連絡船で一泊し熊本駅に行くしかありません。 …

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「人生の岐路・わかれ道」・・たたかい

これまでの人生で「感激した・落ちこんだ・なんでやねん」も多くありその中でも記憶に残る決断・わかれ道。その最大の試練は人生の1/3を占める「会社での出来事」 夏休み遊びすぎて就活もギリギリ、大手家電の試験に落ち、しかたなくアットホームな中小企業に入社できた。それから30数年が過ぎ、オレを振った大手家電に株価で勝つほどの会社に育った・・・会社選択、このケースも岐路の一つかな(笑)。 そん…

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青山でランチ。

今日は、夫婦で表参道にランチに出かけました。 青山・表参道に新しくできた GLASS AREA。 その中に、福井県のアンテナショップや蟹の店がありました。 福井の蟹が美味しそうだったが、満席でした。 アンテナショップは開店予定期日は過ぎていたけど、まだ工事中。 で、当初予定のDEKと言うお店。 野菜が中心のお店のようです。 妻は野菜たっぷりのロコモコ。 私は、キッシュとスープ…

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人生の岐路・わかれ道 臨死体験

あれは、今から40年以上前のこと 生きる意味を求めて 旅に出た 家族の反対を押し切って 仕事をやめ ただひとり 異国の地を さまよった 見知らぬ町の 安宿で 赤痢になって 悶え苦しんだ 頭とお腹に 棒を突っ込まれ 掻き回されるような 激しい痛み 私は泣いた 泣いた 泣いた 死んだほうがましだ 死にたい死にたい 痛みの果てに 気が遠くなり 暗闇につつまれた  ああ…

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大学三年次の決断 残るべきか出るべきかそれが問題だ❗️

昭和の中頃、神奈川県に生まれ、平成初期に沖縄移住。いつの間にか人生半分くらい『うちなーライフ』(沖縄県民)のアラカンとなった。 我が半生を振り返ると、大きな転機はやはり大学三年次の決断だと思う。 その決断に至る過程を簡単に振り返ってみよう。 令和5年から見ると御伽噺に聞こえるかもしれない。 令和元年に他界した亡父は、東京都新宿区早稲田に敷地数百坪とも云われた邸宅(曽祖父宅…