さんが書いた連載庭の草木・草花などの日記一覧

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老白梅と野鳥はシジュウカラと教えられ(1972)

 直前の日記で、wakohは老白梅のもとに飛んできた野鳥に触れた。だが、野鳥に関する知識にすらまるで疎いwakohは、気になりながらも、知らぬ者は知らぬとしか言いようがなかった。分かりにくい写真を一緒に掲載した。  それをご覧くださったエリーマンさんは、シジュウカラではないかとお教えくださった。となると、wakohですら何やら聞いたことがある鳥ではないか。  どうしてそうなのか。実は、wakoh…

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わが庭にも春の訪れ(1970)

 地球温暖化の影響は顕著だ。まだ2月20日と言うのに、今日などは、今現在ですら、20度を超えている。wakohは、年老いて寒さは苦手だが、だから温暖なのは基本的にはよいのだが、2月には2月相応の寒暖の方がやはり自然だ。  もちろん、寒暖の差が激しくはある。また寒くもなるのだろう。  庭に降り立ってみた。玄関前の老紅梅は、すっかり盛りが過ぎている。門を挟んで、その近くの老白梅は俄かにほぼ満開に近く…

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懸案だった植木の剪定漸く成る(1938)

 我が家の庭はもちろんそう広いわけではない。それでも、宅地の切り売りなどが進んで、近所では、次々新しい住宅に建て替えられつつあるが、一軒一軒が小さくなり、植木どころではない小さな家が大半になってしまった。もちろん、中には古くからの大きな屋敷、旧家などもないわけではないけれど。何時の間にか、百坪にちょっと足りない我が家でさえ、大きな部類に入ってしまうようだ。  家内の母は庭いじりが好きで、よく庭…

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異常気象の影響はわが庭にまで及ぶ(1929)

 このところテレビを観ると、世界各地で異常気象の影響が報道されている。山火事が広がってなかなか消えないとか。  一方では、干ばつで作物にも多大の影響が起こっているとか。他方、洪水に人は胸まで漬かって、何とか逃げ惑っていたり。  それらはいずれも地球温暖化の一環だとか。一体どうなっていくのだろうか。  東京でも、この夏は猛暑に悩まされてきた。その一環なのだろうか、その影響は、小さくは我が家の…

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金木犀ついに咲き出す(1927)

 このところ、パソコンの具合が悪かったり、趣味人倶楽部のwakohの日記にすら辿り着けなかったりしていた。  だが、普段使っていたデスクトップ型のパソコンは諦め、予備のノートパソコンを使ってみると、ともかくも動きそうだ。それに依ることにした。  我が家には、門の脇に、1本だけだが、金木犀がある。かなり大きいものだ。  例年は、9月下旬ごろ咲いていた。ところが、今年は一向に咲く気配がない…

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10月1日を迎えて(1921)

 今日は、はや10月1日。今年、2023年も、すでに4分の3は終わってしまったことになる。年ごとに1年が速くなってくるような感すら受ける。  一方、この夏は、猛暑・酷暑の日々が続いた。熱帯日が、何と90日もあったとか。  すでにお彼岸の中日も過ぎ、2日前には、中秋の名月をも経験した。  「暑さ寒さも彼岸まで」の諺からすれば、いい加減涼しくなってもよさそうなものである。  ところが、我…

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庭は草ぼうぼう、それでも花は咲く(1898)

 今年の猛暑は、最早異例という他ない。体温を超える暑さも、今やまるで当たり前のようだ。  朝、珍しいことに、我が家の草ぼうぼうの庭を一巡してみた。  手入れも全くできていないのに、それでもそれに抗するがごとくに、花は咲いている。韓国の国花とも言われるむくげは何種類か咲いている。  朝顔も、ベランダから吊るした網に巻き付いて、少しは花を咲かせている。  今評判の「朝のテレビ小説:らんまん」…

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玄関の ブロック破り 菫咲く(1886)

 目下、植物学の牧野富太郎博士を主題とした、朝のテレビ小説「らんまん」が評判だ。  wakohもできるだけ観るようにしている。  学ぶことも多いが、「雑草などというものはない、植物は一つひとつに意味がある。」といった趣意のことも教えられている。  wakohは草花のこと一つ余りにも知らなすぎる。庭の手入れも出来ず、草ぼうぼうのままというのは気にはなりはするのだが、そうかといって草むしりをす…

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新年度を迎えて(1867)

 今日は4月1日だ。2023年も、はや4分の1が過ぎ去ってしまった。驚くべき速さのように、年老いたwakohには思われる。  新年度と言っても、リタイアして随分になるwakohにとっては、それほど格別のことがあるわけでもない。現役の方々にとっては、いっそう気を引き締めてなのであろうが。あるいは、子供たちにとっては、新学年を迎えて、やる気満々になっていることでもあろう。  それでも、あと2月余…

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梅に鶯ではないが、梅に鳥(1857)

 我が家には、5本だけにせよ梅の木がある。老紅梅を皮切りに、順次、花咲かせてきている。老紅梅が散り出した頃、門を隔てて隣り合わせの老白梅は咲き出した。やっと満開になったと思ったら、すぐに散り始める。  そういう時になって、裏庭の老梅はようやく咲き出す。  3月に入って、すでに1週間。三寒四温で、少しずつ春めいてはくる。裏庭の老梅も一気に満開になったどころか、もう散り始めた。要するに、大晦日…

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真冬並みの寒さというに、庭には確かな春の訪れ(1848)

 天気予報などで、今日は真冬並みの寒さだとのこと。確かに庭に降り立つと、寒さが肌にしみるほどだ。  しかし、晴天だし、先刻は雲一つないほどだった。だから心地よい。  wakohの狭くなった世界では、いきおい庭での出来事などの比重が増大している。  このところ暫く、主役は梅の木だった。老紅梅は、大晦日に1輪ほころび始めたのを皮切りに、今まで健気に咲き続けてきた。流石に、色褪せ、主役を他の…

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梅の花三態(1846)

wakohの世界が如何にも狭くなってしまったことを如実に示す日記になりそうだ。 wakohの庭には、現在梅の木は5本だけはあることは、前にも記した。 戦前からある老紅梅は、それでもまだピンクの花を咲かせている。初めて気付いたのは、大晦日だった。それからすれば45日間、寒さに耐えて、少しずつ花咲かせてきた。満開になった。少しずつ散りかけてもいる。 もう一方、1978年に家を建てかえた時に購入…

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庭に来る鳥と南天・千両・万両(1841)

 また奇妙なタイトルが浮かんだ。そのまま打ってみた。一体どういうことなのか。  さして広くもない我が家の庭には、それでもいろいろな植物が植わっている。整然としているわけでは、さらさらないのだが。  そして今の季節、南天と千両・万両の赤い実が生っている。今年はなにかしらその赤い色が鮮やかなような気がしていた。  ところが、まず南天の実が少なくなってきた。枯れて落ちたというわけではない。門の前…

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梅にも歴史あり(1840)

何度も記していることだが、wakohの行動範囲は、自分でも驚くほど、狭まってきつつある。それに伴って、ここでの日記ひとつ、自分が直接見聞きしていることに限定されるようになってきた。 例えば、玄関脇の老紅梅のことなど、何度も取り上げてきた。すぐに目につくからだ。現在のwakohの住まいは、詳しい経緯はともかくとして、もともとは家内の母方の祖父母の家だった。祖母は、ことに梅を特愛してい…

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庭の手入れー剪定が済んで(1785)

 wakohの世界は年ごとに狭まってくる。かつては、その主要な生活空間は、家の外にあった。ある程度は、外の世界で汗水を垂らして、働いていた。  ところが、退職し、進行がんの患者になってしまってからは、その主要な生活空間は目だって狭まり、今や小さな我が家の中と外(小さな庭)に限定されるようになってきてしまった。  それでも、せめて庭いじりでもしていれば良いのだが、それすらしないで、家の中で蹲っ…

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不思議―金木犀が二度咲いた!(1782)

 また日記を書かずに大分過ごしてしまった。どうしてか。自分でも、よくは判らない。  かつて、現役の頃には、毎日忙しくしていた。まるで追い立てられるような有様だった。  それからすれば、暇はいくらでもありそうでもある。  ところが、そうでもない。余り芳しいことではないが、お医者さん巡りもしている。  近くの家庭医の先生、西荻窪の整形外科、赤坂虎の門クリニックの泌尿器科、補聴器との関連で時に…

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金木犀(1773)

 時期が到れば、草木に花が咲く。ろくに肥料もやっていないのに。  つい先日には、彼岸花のことに触れたばかりだ。彼岸の中日の頃、荒れ果てている我が家の庭でも、何か所もに、曼殊沙華は咲いた。目を楽しませてくれた。  玄関脇に大きな金木犀がある。昨年、あまり伸びてしまうので、植木屋さんに上の方を切ってももらったばかりだのに、昨日新聞を取りに出たところ、少し香っているので、見上げると、金木犀が咲き出…

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わが庭は、白のハナニラ、紫のオオアラセイトウだけではない―後悔先に立たず―(1687)

 春とは言い条、温暖さばかりではない。今日など、うすら寒く、午後からは冷たい雨が降り続いている。気分が晴れない。  それでも、狭苦しい庭を見て回った。確かに紫のオオアラセイトウと白のハナニラに、庭中占領されているみたいだ。これらは、頑丈だし、繁殖力が旺盛なのだろう。見事だ。  だがしかし、それだけではない。つつじも咲き出した。椿も咲いている。四季咲きなのだろうか、淡い紅色のバラも咲いているでは…

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我が家の庭も春爛漫(1683)   

 春らしくなってきた。暖かい。晴れてもいる。風も穏やかだ。  つられて庭に降り立った。そういうほどの広い庭ではない。むしろ狭苦しい庭だ。いつも言うように、何の手入れもしていない。だから雑然としている。  それでも、春はわが家の庭にも到来する。それどころか、春爛漫と言ってよいほどだ。10種類以上の花が咲いたりしている。若葉が目に染みる。  1月から3月にかけ、騒ぎ立てた梅も、梅の花から、少しは実…

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我が家の庭にも春の訪れ(1672)

 wakohの中学校時代の恩師に、国語の谷鼎先生がおられる。第二次世界大戦の末期、1944年4月にwakohは都立五中に入学した。その前年、東京は都制が布かれ、府立五中として親しまれてきた母校は、都立五中にその名を変えたのであった。その1年C組の担任が谷鼎先生であられた。  谷鼎先生は、窪田空穂門下の四天王の一人として聞こえていた。その谷先生は、1960年7月輪禍でお亡くなりになられた。wako…