さんが書いた連載運慶からの日記一覧

会員以外にも公開

「実家のお婆ちゃんに」

リビングから見える場所に移した風知草が風に揺れている。他の葉は揺れていない。 水やりをするとき、ホースや体が当たると枝が折れることがあるが、この草にそんな心配は要らない。しなやかで折れることなどない。 シソ科のコリウスは逆だ。ちょっとホースが当たっただけで、簡単に折れてしまう。ところが強い再生能力を持っていて、折れた枝を土に刺しておくと簡単に根が出る。そうやって増やしたものが、5,6鉢になっ…

会員以外にも公開

「社会の役に立たない人間」

婆様はとても美味しそうにご飯を食べる。 「美味しいですか」 「美味しいわよぉ。ここは食事が美味しいのよぉ」 「食事を作った人に伝えておきますね。喜びます」  その日は各居室の掃除の日だった。私は掃除機を持って居室一つ一つを掃除していく。一緒にやれる人はこのユニットにはいない。婆様のクローゼットを開けると、隅に文庫本が積んであった。それもどけて掃除機をかけ、また積み直した。一冊一冊が分厚い。今…

会員以外にも公開

「胸が縮こまる」

ずっと部屋にいる婆様の顔を見に行った。婆様は車椅子に座ったまま、泣き顔を作っていた。 「今、向こうでみんなで歌を歌ってますよ。一緒に歌いませんか」 「そうだね、一人でいたら胸が縮んじゃうね」 尾瀬を歩いているとき、何故こんなキツいことをしているんだろうと思った。もちろん生きていればこそだ。4年前偶々胸のしこりに気付いていなかったら、今頃ステージが進んで手遅れになっていた。 あのとき考えられ…

会員以外にも公開

「窓」527

どうしても友人ともう一度見たかった『万引き家族』。友人に会いたかったのもあるが、映画を見た後、ランチしながら喋った喋った。自分とは違う見方や感じ方があるって、なんて楽しいのだろう。これだけ喋らせるんだから凄い映画だとやっと思えた。三日間映画館通いという快挙達成! 一度目はカンヌがなぜこの映画に最高賞を与えたのかという邪念まみれで見ていたのだ。二回目は子供の、あの少年の視点で見ていた。これほど違…

会員以外にも公開

「トラベルヘルパー」532

「この辺に本屋はある?」 バサマが言った。 「この近くにはありませんね。小さな自営のお店はどんどん潰れたんですが、本屋もそうなんです。もう駅に行かないとないですね。」 でも、どうして本屋なのだろう。 「本屋で買いたい本があるんですか?」 「字を書くあれ、あれが欲しいんだよ。」 私は芭蕉の「奥の細道」をなぞる練習帳のような一冊がかなり売れたことを思い出した。 「息子さんが来た時に連れて行っても…

会員以外にも公開

「ほめてほしい」

「どうして欲しいですか?」 A子さんの部屋から大きな声がした。部屋に入って行くと、目を瞑って動く方の手でベッドの柵を叩いている。今日は呂律が回らない感じで、言っていることが分からない。「目を開けてください」と言ってから、もう一度聞いた。 「ホメテホシイ」 「何を褒めて欲しいんですか?」 「頑張っていること。」 「体の自由が利かず歩けないのに、こうして毎日頑張って生きていることを褒めて欲し…

会員以外にも公開

「年末年始並みの寒さだという」

冬用の分厚いタイツを穿き、その上に普通のズボンを穿き、その上に風を通さない雨具のズボンを穿いた。それでも、バイクは寒かった。 お蔭で着いたらすぐに診てくれる歯医者の椅子に座った後も、まだ冷たい空気の層が体中を覆っていた。 長年行かなかった歯医者に行く気になったのは、ジョギングクラブの女性が「全然痛くない歯医者なのよ」と教えてくれたからだ。 「麻酔の注射も痛くないの」という言葉通り、虫歯にな…