回答受付は終了しました
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

明治維新、なぜ江戸に遷都?

[本・雑誌]

唐突ながら、ある時からふと疑問に思いまして、、明治維新、せっかく?大政奉還成ったのに、天皇、改めて京の都こそ日本の中心!みな上れ!でなく、御自ら どうして江戸(徳川幕府の地)に「下った」のでしょうか? 延々大変長い道中の労あるのに。関東など?雅で上品な土地とは思ってなかったでしょうに?
よろしくお願いします。

(11月25日 18:29 追記:)
すみません、この質問のカテゴリは「特別企画」が妥当のようでしたね。未熟のため「読書」カテゴリにするしかないかと思ってしまいました。ご不審抱かせてしまいお詫びします。
(カテゴリの訂正が自分で可能かよくわかりません。趣味人サイドで変更該当事項と判断されれば されるような記載もありますが、自分で変更可能とわかればそうしますが、、)

(11月29日 12:10 追記:)
このたびの好機得て、あれこれ検索やら進めると、とっくに過去に正解と思しき話があり(他サイトのQ&Aや、歴史関連のサイト等で)、お騒がせしたこと反省もしました。
しかし、改めて、ネットの威力、様々な方(ご意見)との出遭い、知識の大海 に感嘆、感謝の一方です。
特にこのたび 際立ったのがNHKの(過去ですが)「そのとき歴史が動いた」でした。 まったく、この質問のことがテーマの回があったこと判明。
平成14年のことでした。大久保利通の大阪遷都を主体とし、大阪VS江戸という展開で、その事情を縷々やったようです。
ただ、今はオンデマンドでも対象にはなっていなくて、視聴叶わず残念でたまりません(可能な方法あったら教えて下さい)。 概要は、ほかの資料・サイトの内容で類推できはしますが、どんなに詳しく面白く理解できたかと思うと、あの番組ファンだったのに、すっかり見落としていた不運嘆きます(苦笑)。

奇しくも、目下 橋本さんが市長当選果たし大阪都構想云々、、また 天皇のご退院や次代の懸念など、その「今昔」思い馳せ、感慨一入です。
ご回答やコメントお寄せいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。
 不慣れなため、御礼など行き届かなくて申し訳ありませんでした。(こうした 最後の感想?も、どこでいいのかも不明で^^;)
(質問枠での追記、にも念のため出しておきます。ありがとうございました。m(__)m)

(11月29日 13:26 追記:)
◆(下方の)JBLさんのご回答への当方コメントでも記載したのですが、みなさんのご回答や諸説のおかげで調べ直したりした結果、当方なりのアンサーに近いものもまとまってきたので、一つの説としても ご報告させていただきます。
どうもありがとうございました。

「天皇自らが動く・下界に身を晒すということは、到底それまでは全く有り得ないに等しいことだったこと思うと、よくやったなぁと感心新ただったのです、疑問と共に。
実権と実権の象徴(江戸城)がなくなってしまう、よそへ行ってしまうことも、大いにその変革を物語る・認知させる・痛感させると思うと、なぜわざわざ?お上に遠路遥々の思いさせて? よく実行させた、抵抗排除できた、と思って。
ところが、
調べていくと、それこそが、核心だったように思いました。
つまり、単に国内の政権交代・復権ではなく、外圧からしても、近代国家へ新生させる必要に迫られたため(大久保ら主導)、「実権」者が従来の雲上人・生き神様では不可とした判断・運びだったようです。 
そこで、「地上」に引き出すための(脱京都)大阪遷都案だったけれど、思うように行かないところに(現実の大阪人民との温度差等)、前島密から、今後の日本全体統治鑑みた地の利メインの江戸遷都を出され、結局実行したという経緯のようですね。
大阪の試みがうまく行っていれば、「東京」は生まれてなかった、首都は大阪、だったかもしれない、と知りました。

御簾の奥からお出ましになり、天皇主権(当時)の具体化?具現化? と、国内外への対応の地の利が合体した客観的名案だったのですかね、東京誕生は。前島さんが 西日本の方でなかったことも、それが可能だったのかもしれないと思いました。江戸を仇と見てない?
さらに、再考途中で思ったのは、
その近代国家へ変貌急ぐ時、盛んに物理的=町・建物の改造が為されたこと見ると、そんな破壊と建設事業はとても「古都」では不可能であり、そもそも(たかが?)江戸時代に出来たばかりの都市でこそ可能、相応しい(惜しくない。徳川色払拭したかった「彼ら」官軍派には願ってもなかったり?)好適地だったのかも、、と 勝手に思いました。
(加えて)
当時の案で出てましたが、東西を同格視する、、、そうした新たな(再)開発・建設面(江戸〜東京にて)と伝統・格式保持温存(京)という、東西の都の並立・共存状態も可能ということも、江戸を新国家拠点にするに利したように思えました。」

閲覧数
337
拍手数
0
回答数
8

回答 8件

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

そういえば、そうですね〜!
確かに、勤王のもとに立ち上がり、錦の御旗を最後の決め手に勢いを増した新政府軍ですから、本来なら京都に都を置くのが筋ですよね。
私は幕末は大好きなのですが、明治後は疎くて余り深く考えた事がありませんでしたが、不平等条約を結んだ外国との交渉に港の近い江戸でないと不便だろうとか、早くに開港されて外国人の増えていた横浜や、将軍様のお膝元で敬虔な佐幕派の多い江戸近郊にも目を光らせたいとか、京都もまだ治安が不安定だっただろうし、これ以上外国人に開港した以外の場所に余り立ち入らせたくなかったから?など、色々と勝手に想像していました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

.
       何んか・・・ TPP 議論の観点に似てきましたねェ^^。
.

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
サクさん、ご同感表明ありがとうございます。うれしいです。

このたび、おかげさまで色々なご回答・ご意見など拝することができ、大変勉強になりました。
検索し損なっていた部分にも気付き、改めて分かること・頷き直すことしきり。
今の東京や京都、そして天皇家をまた再認識したりしてます。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

いつもと違って今回はちょっとひねりを入れて見ました。
京では、薩摩も長州も肥前や土佐といった勤王藩の志士たちは田舎者でした。
田舎者が戦いに勝ったら、当時一番賑わっていた江戸を占領したくなるのも当たり前です。
またもう一つの理由として、
散々祇園や島原といった色街で遊び尽くしたので、今度は毛色の違った吉原や江戸の粋な女性と、遊びたかったのでしょう。
(京のおなごは、田舎者を馬鹿にしますしね。)
特に下級公家だった岩倉卿などは、その気持ちが強かったのではないでしょうか。
勿論皆さんが回答とされた真面目な理由も有ったでしょうが。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

.
      多くの読者が首をひねってる!?・・・ のが観えるんじゃ。
           (これっつて、千里眼ちゅーんかのう^^)
.

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

態々コメントしていただいて申し訳ない。
真面目に答えますと、
お公卿さん中心の京に嫌気がさした。
文化・政治・外交の中心は何といっても江戸でした。
親徳川藩の残党が東北・北関東におり、それらの監視の為。
横浜港。
最後に粋な女性が多かった(田舎侍から見て)。でしょうね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

追記について
質問するときカテゴリで何度か迷いました
いまもきっと迷います、でも「特別企画」は?

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

.
質問のカテゴリは、基本的には質問者(主観)が決める事です。
質問の内容読解からQ&A(システム)が判断(分類)出来ないからです。
従って、”カテゴリに拘る事は無いのです。”
.

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

徳川家の本丸に乗り込む事で天皇家が実権を握り錦の旗の下で政治が行われる事を知らしめるため。
どうでしょう。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
これ、とてもストレートで最も分かりやすい、あたりまえ的理由ですよね。こちらで諸回答やヒントいただき、調べなおしていくうち、実際、つきつめれば、端的+結果的に、この説が基本的正当と思えます。本丸に乗り込む=実権いわば政権交代を強く広く知らしめるため。 

ただ、天皇自らが動く・下界に身を晒すということは、到底それまでは全く有り得ないに等しいことだったこと思うと、よくやったなぁと感心新ただったのです、疑問と共に。
実権と実権の象徴(江戸城)がなくなってしまう、よそへ行ってしまうことも、大いにその変革を物語る・認知させる・痛感させると思うと、なぜわざわざ?お上に遠路遥々の思いさせて? よく実行させた、抵抗排除できた、と思って。
ところが、
調べていくと、それこそが、核心だったように思いました。
つまり、単に国内の政権交代・復権ではなく、外圧からしても、近代国家へ新生させる必要に迫られたため(大久保ら主導)、「実権」者が従来の雲上人・生き神様では不可とした判断・運びだったようです。 
そこで、「地上」に引き出すための(脱京都)大阪遷都案だったけれど、思うように行かないところに(現実の大阪人民との温度差等)、前島密から、今後の日本全体統治鑑みた地の利メインの江戸遷都を出され、結局実行したという経緯のようですね。
大阪の試みがうまく行っていれば、「東京」は生まれてなかった、首都は大阪、だったかもしれない、と知りました。

御簾の奥からお出ましになり、天皇主権(当時)の具体化?具現化? と、国内外への対応の地の利が合体した客観的名案だったのですかね、東京誕生は。前島さんが 西日本の方でなかったことも、それが可能だったのかもしれないと思いました。江戸を仇と見てない?
さらに、再考途中で思ったのは、
その近代国家へ変貌急ぐ時、盛んに物理的=町・建物の改造が為されたこと見ると、そんな破壊と建設事業はとても「古都」では不可能であり、そもそも(たかが?)江戸時代に出来たばかりの都市でこそ可能、相応しい(惜しくない。徳川色払拭したかった「彼ら」官軍派には願ってもなかったり?)好適地だったのかも、、と 勝手に思った次第です。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
長くなってすみません。
このたびの好機得て、あれこれ検索やら進めると、とっくに過去に正解と思しき話があり(他サイトのQ&Aや、歴史関連のサイト等で)、お騒がせしたこと反省もしました。
しかし、改めて、ネットの威力、様々な方(ご意見)との出遭い、知識の大海 に感嘆、感謝の一方です。
特にこのたび 際立ったのがNHKの(過去ですが)「そのとき歴史が動いた」でした。 まったく、この質問のことがテーマの回があったこと判明。
平成14年のことでした。大久保利通の大阪遷都を主体とし、大阪VS江戸という展開で、その事情を縷々やったようです。
ただ、今はオンデマンドでも対象にはなっていなくて、視聴叶わず残念でたまりません(可能な方法あったら教えて下さい)。 概要は、ほかの資料・サイトの内容で類推できはしますが、どんなに詳しく面白く理解できたかと思うと、あの番組ファンだったのに、すっかり見落としていた不運嘆きます(苦笑)。

奇しくも、目下 橋本さんが市長当選果たし大阪都構想云々、、また 天皇のご退院や次代の懸念など、その「今昔」思い馳せ、感慨一入です。
ご回答やコメントお寄せいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。
 不慣れなため、御礼など行き届かなくて申し訳ありませんでした。(こうした 最後の感想?も、どこでいいのかも不明で^^;)
(質問枠での追記、にも念のため出しておきます。ありがとうございました。m(__)m)

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

メイプルさん今晩は てっきりと言うか私の早合点で男性の方だと思っていました。

京都がお好きな様なので・・・さて何と書こうかなぁ・・・。

「本日は回答へのコメントにようこそおこしやす、またどこかでお会いするのを楽しみにまっておりますえ」

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
JBLさん、ありがとうございました♪
こちらこそ、その節はよろしゅう おたのもうします。m(__)m

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

ムムム、
私の知る範囲では明治天皇は江戸に行幸(出張)した事に成っています。
従って天皇家に遣える貴族の方達は今でも京都にお住まいと聞きました。
(未だ天皇家が東京に遷都と宣言してはいないんですね)

もし、そうでは無いと云う意見が有りましたら最新の情報をお知らせ下さい。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

明治天皇の御身体が弱かったので、出張もしていないと。^^

薩摩が、南朝の末裔「大室寅之祐」を身代わりに立て、そのまま明治天皇として即位させたとか何とか。

明治天皇が、南朝が正統な朝廷であると言ったとか何とか。(笑)

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
へぇ〜〜!! でした。
なるほど、そういう見解なり「事実」なり、あるようですね。遷都と奠都の違いも、学べました。


無知な当方には、ちょっと衝撃ともいえるご指摘、新たな見識得られ、感謝します!

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

二条城では狭いし徳川の残党を見張るための薩長土の陰謀でしょう。
京都の人達は今でも天皇はんを東京に貸していると思っているのでは・・・

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
回答ありがとうございます。
京都の方の率直なご意見ご感想も伺いたいですね。
今年の、かの原発禍勃発の折、天皇陛下が京都に避難されたという噂がありましたよね。諸説の中で、首都自体そのまま京都に遷都したほうがいいというものも聞きました。そうしたこと起ると猶、やっぱりそもそも京が都だったんだから、という声あったかもしれませんね・・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

江戸に移った理由は色々あったように聞いた事があります。
第一に、その当時世界的にも大都市だった江戸を捨て京都を首都とする事は、大都市の衰退につながると共に、不穏分子が東北に逃れ、再起を図るのを阻止するニラミ及び、疲弊していた東北方面の活性を考え、東西の要の江戸すなわち東京として首都を定めたとする事。

第二に、公家の影響の強い京都では議会制民主主義の妨げになるとして、公家の影響を断ち切るために遷都をすべく、大阪遷都の考えもあったのですが、商人の都市として栄えていた大阪は衰退する感じは無く、衰退影響が大きいとされた江戸への遷都が考えられた事。

第三に、京都は当時治安的に悪いと考えられ、江戸城開城で警護面でも良しとされる江戸が考えられると共に、風水上の理由からも江戸が良いとされた事。

等などが理由だったように記憶しています。
ただ、遷都に対しては非常に反発も多く、実行には非常に苦労しながら、数年の年月を要し、民間には知らせず徐々に行ったと聞いたように記憶しています。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
孤兎さん、早速に、しかもご丁寧なご回答大変ありがとうございます。 第一〜第三の理由、不肖の身としては初めて知りました。 外交・列強への対策上か?それも江戸が有利かどうかも(自分としては)不明だし…といった程度でした。さすが博学の先輩多い場、感謝新たです。
しかし、なるほど 反発も多かったでしょうね。数年要して、一般にはナイショで?とは、それも知りませんでした。この辺もまた調べてみようと思いました。
あたりまえに思っている事象の実態、今更ながら 知ること(恥怖れず^^;)も年の功の一つかと思う者です。 今後ともお教えいただくことあるかもしれません。その節はまたよろしくお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

天皇は京都を発つときに公家たちに「すぐに戻ってくるからね」
といっていたとか・・・

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

正直、率直に云って、何んとも間の抜けた質問、愚問という感じが拭えないのですが、そう感じるのは私ぐらいでしょうね?

この質問が読書とどう関わるのかもわかりません。誰かに教えて頂きたいですね。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

.
そう・・・ 間の抜けた回答ですねェ!。(なぜ遷都の A になってないョ)

質問するのに、読書との関りが必要なのかねェ(?)。

当時、外に開かれた国にする為、外国から見ても一番”インフラ” の進んだ大都市ではなかったのかえ^^。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
コメント畏れ入ります。 そうですね、失笑伴う愚問とも思います、あまりにも今更?
読書とどう関わるのか、ですが、
これは実は私も同感なのですが、苦肉の策です…。
質問フォームでは(今の私の理解では)質問内容のカテゴリーを定めないと進まない方式のようで、このたびの内容が指定された範囲のどこに属するのか判断に窮し(どこにもないように思え)、読書家の方や そうした類の書物・記録に関連事項はあるかもという薄い?ご縁にすがったような格好です。
もしかしたら、カテゴリーに素直に属さない質問はすべきでないのかもしれませんね。 どのカテゴリーがよかったのか、またそれに迷う時はどうするのか、おわかりの方にお聞きしたいです。趣味人サイドに問えばいいですかね。 ただ その回答待ったり、やり取り自体の時間・労もそうそう十二分にあるものではないので、今回は とりあえず出してしまった次第です。
まだわからないことだらけで、やりながら身につけていこうと思ってます。
こうした疑問を持つ者も、世間には実際いるということでしたかね・・・(苦笑)。失礼いたしました。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

メイプルさんの弁明を訊いたら、読書との関わりを問うたのはチョット意地悪だったかなと反省しています。

本来の質問にもどれば、?人心一新ということもあるでしょうが、?前政権、幕府の本拠地江戸をそのままにして、関西を首都にすることの危うさを誰でも想像しないでしょうか?

?京都は天皇ご一家のお住まいがあると意味で首都であるとしても、形式的な意味であり、実質的な府(政庁)があるという意味での首都はすでに江戸ではなかったですかね?

?の意味は、江戸を抑えておかなければ、一度は戊申戦争を終えて、東日本を平定したものの、その後、反政府活動の拠点にでもされたら、厄介なことになるでしょうとの意味です。

ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん

相談者
ボルテさん、ありがとうございます、恐縮です!
とても勉強になります。

ペンネーム:回答者 (匿名希望)さん

どういたしまして。これに懲りず、Q&Aをご活用ください。

関連するお悩みはこちら

回答受付は終了しました
回答数 1

話題の村上春樹氏の本・・・

話題の村上春樹氏の本を読んだことありません。 彼の著書でオススメのものを教えてください。 ぜひ、読んでみたいと思います。 男、69才

回答受付は終了しました
回答数 5

司馬先生の作品で、好きなものは?

「坂の上の雲」がドラマ化されます。 司馬先生の作品のなかで、好きな小説・推薦したい作品がありましたら教えて下さい。(よろしければ、理由も) 私は、ありきたりですが、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」です。 この2作品で、竜馬と土方のファンになりました。

回答受付は終了しました
回答数 2

児童書について

問1 児童書(もしくは児童書コーナーにある本)を読んでいて これ本当に児童書むしろ大人向けの児童書では?むしろ大人の方が読むべきでは?と思ったことありませんか? 例えば、『ハッピーバースデー』、あさのあつこの『NO.6』、 眉村卓の『なぞの転校生』、『星の王子さ...

回答受付は終了しました
回答数 3

漢詩

漢詩です。 人生幻花似遂正空無還 人生は、幻の花に似て最後には、無に帰してしまう。 唐のシヨウメイと言う方の唄と記憶しています。 正確な文字の配列。 作者について、存じている方はいませんか。

回答受付は終了しました
回答数 4

左派=中共の支持者って偏見ですよね?

左派=中共の支持者見たいな事をいうネット右翼がいますが、 それって明らかに偏見ではないのですか? 左派でも中共に批判的な人はいますし。 例えば、ジャーナリスト池上彰(WIKIによると中道左派)、 報ステの古舘アナや吉本隆明(昔は左翼だったが今は中道左派気味) な...

回答受付は終了しました
回答数 1

「テレビ、早く起きた朝は〜」

8月末位のフジTVの日曜日、朝6時30分から「早く起きた朝は〜」で森尾由実さんが英語の発音の本を紹介されていました。 たとえばキャンセルはカンセルのが近いなどと・・・。 残念ながら途中から観たので本のタイトルが分かりません。どなたかご存知ないでしょうか〜?

お悩みQカテゴリ一覧