『裏酒場ひとり語り ~想い紅~』

もうあと少ししかない口紅を、捨てきれないでいる。
いつ買ったかも、とうに忘れてしまっている。だけど、捨てることができない。華やかな色ではない。くすんでるわけでもない。
忘れられない不思議な赤、私は、そう呼んでいる。

月に魅せられて、今夜は、すーっと紅筆に、その赤を滲ませる。想い出のページを、そっと開いてみようか。

『そのルージュ、いいねえ』
入ってくるなり彼は、言った。
軽く笑って、私は、カウンターの隅に立っている赤を見つめた。

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