言葉による固定化の弊害

私はよく、以前の自分の人生を
「ドン底人生」と語っていたのだが、
それは間違ったものの見方だということに気がついた、
と先の日記に記した。

10年前のとある一日を取り出してみた時
「どん底」の時間も1時間ぐらい
あったのかもしれないが、

お菓子を食べて美味しいと舌鼓を打ったり、
子供とふざけあって笑い転げていたこともある。
こたつでぬくぬくと気持ちよく昼寝をしたときもある。

ちゃんと見るなら
そこそこ幸せだったということができる。

ではなぜ
こんな風に事実を歪めてしまうのかというと・・
自我の性質による。