「思い出」の日記一覧

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☆♪私フェリーにしたのだって飛行機も汽車も涙乾かすには短かすぎるでしょ♪【大阪南港フェリーターミナル】

ニュートラムの最前列に座りながら停泊する大型船を眺めた そう言えばまだまだ若かりし頃この港から九州へ旅立ったっけ! 単なる正月旅行なのに友人達に見送りまでしてもらって有りがたかった 過去を振り返りしみじみする高齢者に自分が成ってしまった気がする 当時憧れまくっていた「さだまさし」の名曲「フェリー埠頭」が頭の中にエンドレスで流れ出した

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🐕️ワンコの思い出。

地元、 ①柳谷観音…  (楊谷寺) ②総本山…   (光明寺) ③西国24番札所…(吉峰寺) ⤴️ この三つを「京都西山三山」…っと言う。 ①の楊谷寺は→(眼の神様)  この寺には「眼病平癒」とされる  自然の湧水があり、相方の眼の病気の事も あり幾度も僕はお参りしています🙏 此所の寺には野良犬が住んでいました 🐕️←(シロちゃん)…僕が勝手に命名 僕は お参りする度に🏪コンビニで🥖…

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ふと。

月曜日。 仕事で夜にラピートに乗ろうとすると。 何んと! 何時ものラピートが。 「セレッソ」でラッピングされていました。 「セレッソ」 それは、私が昔、応援していた大阪のサッカーチーム。 80年代はF-1に夢中で。 まぁ、F-1より前から鈴鹿に行っていましたし。 入社したのは、関連会社でしたからね。   笑   セナが亡くなってからは、段々と鈴鹿にも行かなくなりましたが。 90年代になり、始…

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幸せな一日

 ボクは気分屋で、ちょっと嫌なことがあると死にたくなっちゃう。気分だけだから、具体的な方法まで考えたことはないよ。具体的に考えたら死ぬのが恐くて死にたくなくなっちゃうよ(笑)。  今日はその正反対。暖かいし、風もなく晴れてるし、朝一番に洗濯したら午前中で乾いちゃう勢いだった。布団も干したよ。  新聞を整理したり、掃除したり、午後は2時から地区(字 あざ)の総会があって、ボクらの団地は50軒規…

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500マイル(日本語バージョン)

「500マイル」の原曲は、1961年にアメリカのピーターポール&マリーが歌ってヒットした「500マイルも離れて」という歌です。 この歌を日本語に訳して数人の方がカバーされています。 古くて素朴な時代背景をも感じさせる歌で、私の世代には心に残る歌の一つです。 私自身も若い頃に、500マイル以上も離れた九州から遠い地へと旅立った時の記憶が蘇る歌でもあります。 昔を思い出しながら、その記憶に感謝し、大…

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最後のイベント

昨年閉館した中野サンプラザの建物壁面を使った プロジェクションマッピングイベント 一般から募集したサンプラザの思い出やメッセージも映し出されました BGMの最後にゆかりのミュージシャン 爆風スランプ→モーニング娘→山下達郎 の曲が〜♪ 今年度後半にいよいよ解体が始まるようです🥲

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本日21周年になりました

五感健在(視力、聴覚、嗅覚、味覚および触覚) 未だ、同時進行沢山出来ますので 皆さんに 驚かれています。 60歳から 独学でパソコンを始めて 少し慣れた頃に ホームページを作ったのよ。 義務教育しか出ていませんが どこの会社も 指導に来て欲しいと 20歳代から 仕事は探したことが無いのよ。 出かけた会社で得意先のお偉い方々に お目にかかると必ず うちに来て欲しいな…

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高山で見る雪はこれが最後ね

あれは忘れもしない・・・ 2年間過ごした 飛騨高山からの卒業の日 旅立ちの前日 季節外れの大雪が舞いました まるで彼女が空に向かって 足止めの願いでもしたような降りでした 朝、青空が広がり 高速の無い時代でしたので 9時間の帰路の心配はありませんでした 最後の荷物を車に積み込み 彼女の元へ 明日、就職が決まった会社の入社式 もぉ帰らないとならないし 倒れた母も心配 玄関から顔を出すも涙…

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Banana

バナナ、何と言っても果物の王様だ。 病気の時ぐらいしか食べられなかった。 メロンもあるが、夢の果物で現実味は無い。 「.渡辺・ジュースの素」をコップに入れて飲んだ。 冷蔵庫が無かったので、冷たい井戸水で飲んだ。 家内とスーパーに行くと、バナナを買ってしまう。 それも大房のバナナだ。 卓上に鎮座されていると「人生の成功者」になった気がする。 戦後の生まれで、赤胴鈴之助に熱中した世代だ。 吉…

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『ランドセル』

「先生、馬糞紙(ばふんし)って知ってる?」 と聞かれた。 「もちろん」 というとニコっと笑われた。 90歳のこの患者さんは「国民学校時代」の話を はじめた。 毎年この時期になると、色とりどりのランドセルが 所狭しと売り場に並ぶ。 親はもとよりなによりも祖父母が満面の笑みで、 品選びに余念がない。 それを見ていると国民学校1年生になったあの頃を 思い出してしまうと言う。 かつて戦争は…

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生存中の父は愉快でした…。

釣りのある日。 右側の人が、実に良く釣る。 何度目か 視線が合った時、さおを置き、 すたすたとやって来た。 「あんた釣れんなあ」 「はぁ」 「どれ見ちゃろう」 仕掛けを一目見て 「これじゃ効率が悪いわ」 するするっと引き返し、自分のを持ってきた。 「わしが作ったんじゃ。あんたにあげよう」 手際よく付け替えると釣れるコツまで教えてくれた。 礼をいい、名前を聞くと 「名乗るほど…

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雛祭りの朝に

もう13年の歳月が過ぎ、今朝も穏やかな朝を迎えてます。 あの年産まれた孫が今年は中学生になり、孫も増えて4人を授かりました 4人の子育てを終えようとしていた春 震災で子供達のため買い揃えた雛飾りも、五月人形も失い、でも絶望!って言葉を噛み締めていた中の希望が授かった孫でした。 当時元気だった両親が「この子は我が家の未来だ希望だ」そう言っていました 数々の災害が襲う日本 その度に思い出すあの絶望の…