「死生観」の日記一覧

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面白がって生きるこそ賢明な生き様でしょうか《生きていりゃこそ》

タイトルの言葉には前段もありますが、樹木希林さんの言葉の一説ですが、どこかそんな生き方、生き様が重なる様です。 まだまだ余命宣告など受けていませんし、違和感もないので医者にも行かないので実態は分からないものですが・・・ 昔から多くのものを手にしましたが、常に思うのは“時の所有者”との自覚です。 簡単にさらりと手放す事も良くあるようです。 強欲でしょうが、何処か諦めた冷めたところもある…

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続・人生の愉しみ方:死生観は「生きる」を見つけること

死生観。 この言葉が発するネガティブなイメージに違和感を覚えていました。 言葉の意味自体は「死を通した生の見方」(Wikipediaより)となるのですが、死が言葉の最初にきていることがネガティブに感じる理由だと感じます。なので、生まれてから死ぬのだから「生」を先に持ってくる「生死観」(しょうじょうかん)の方が、語感が良いと思います。 仏教は2500年前の教えです。その中にも輪廻転生がありま…

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価値観の違いは人生観の相違につながる

結婚しない(できない)男女が増え続けている。今住んでいる場所も、二軒に一軒は結婚していない息子或いは娘がいる。その中に当然我が家も入っているのだが・・・兄弟3人とも結婚しないまま、親と同居している家庭も意外に多い。 息子の同級生の家は、長男も長女も結婚していない。長男は45歳になるはずだ。彼らの母親は、「気が狂いそうだ」と漏らしたことがある。二人の子供は一度も家を出たことがない。ずっと親と同居…

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人生の愉しみ方:死生観は生を見つけること

栗城史多さんの死に接して、思索の海に飛び込み、ひとつの答えを得ました。 「今、いのちがあなたを生きている」 旅の中で見つけたこの言葉が、この答えを導き出すヒントになりました。 『人生の愉しみ方:死生観は生を見つけること』 それは生きる意味を問い直す、自分との対話でした。 ここに至るには長い伏線があり時間が必要でした。 それを押し出すきっかけになったのは、父の死であり、栗城史多さんの死…

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安楽死と死ぬ自由を考える

明日、この104歳のオーストリアの科学者グドール氏は、この世からいなくなります。 老活 または 終活の極みがこれです。 生き物は死亡率100%。 生まれた空には必ず死ぬ運命にあります。 その生まれてから死ぬまでの時間、人生をいかに過ごすか。 それは時間の旅だと言えます。 ヨーロッパの一部の国は、自ら命を絶つ選択が出来ます。 104歳で自死を選んだのには様々な理由があるでしょう。 …

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『死』について

以前は『死』を 今とはかけ離れた 遠い未来に起きる出来事、 日常とは切り離された事柄ととらえていたのだが、 最近、 『死』は生の延長上にあるととらえるようになった。 生と死を 対極にあるものではなく一つのセットとしてみる。 相の違いと言ったらいいかもしれない。 「生」の相と「死」の相。 私たちは「生」の相と「死」の相を ぐるぐると巡っている。 これは 仏教の縁起の世界観でもあるのだが、…

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終活における 些事と大事

前回の日誌からもう2週間経ってしまった。 月末と月初はジタバタする時期である。 するべきことを粛々とこなして、終活の日々もここに三月に至る。 いわゆる短期記憶、ワーキングメモリーとかの磨滅には参る。 この季節、確定申告のためにする、医療費の仕分けと計算だが、今年は特に間違えることはなはだしく、ため息つきながらやっと一覧表を作った。57万円もの額になった。 こうして税の控除をしようとするのだ…

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私の死生観

いのちの世界は はるか昔からある。 私たちがどう考えようとどう思おうと どんな価値観を持とうと そんなことには関係なく存在する。 その世界は命の源の源 私たちはいっときの間現れ、 そしてすぐに消える泡のようなもの、泡沫。 その短い間に 食べたり飲んだり、仕事をしたり 恋をしたり、結婚したり、 怒ったり、泣いたり 競争して優越感や劣等感を持ったり 嫉妬したり、趣味に興じたり・・ 毎日さ…