wakohのような者でも、かつてはいくつもの原稿を抱えてあたふたしていたものだ。けれども、リタイアし、加えて思いもかけなかった進行がんの手術などもあって、すっかり引っ込んでしまった。 専門の心理学、社会心理学、教育心理学は日進月歩だ。最新の状況にはとてもついてはいけない。心理学関係のいくつもの専門雑誌は、70歳からはずっと謹呈に与っている。名誉会員乃至終身会員に推されてしまったからである。けれ…
歳を取って、することがなくなってとか、無為に日を過ごすとか言われることがあるかもしれない。 wakohは「歳を取って」の部分はまさにその通りなのだが、それ以下の部分は適合しない。 それどころか、かつてのように敏捷には動けなくなってきている所為もあってか、要領が悪いためにか、未だになすべき多くの課題に取り囲まれて、それを適切に処理できずにいることが多い。 いずれにせよ、同時に2つのことを遂行…
タイトルを書いてみた。だが、ここでの日記としてはどうも不適切のようでもある。そんなことで逡巡してうちに数日間経ってしまった。だが、自分の記録ではある。 また、お気に入りさんになって下さっておられる方々の多くは、今までの間に、ハンドルネームではあっても、どんなことをしてきた人間かは、漠然とはご存じ下さっておられるかもしれない。それに、それをも受け容れて下さっておられよう。偉そうだとか、生意気だと…
前の日記、「社会心理学徒への道23.国際心理学会議でのデビュー」は殆ど人の目を惹かなかった。わずかにお一人の方がコメントしてくださり、もうお一人の方が、メールで仰って下さっただけだった。その2つとも、時間をかけて仰って下さったのだから、その点では、有り難い。 けれども、wakohにとっては、極めて大切なことを、wakohとしてはある程度時間をかけて記したのに、この為体である。もう黙るしかないか…
どうもこの連載は行きつ戻りつだ。「社会心理学徒への道22.」では、ほんの数日前の「東大での社会心理学コロキウム」に出席しての感想などの一端を記した。それだけではない。この「趣味人倶楽部」でのwakohの「連載」6つを取り上げ、他の5つとの関わりで、「社会心理学徒への道」が、wakoh自身にとってはどんな意味を持つものだったかにも触れた。 それは、wakohにとっては、「社会心理学徒」からの退路…
余りご覧くださる方は多くはないであろうことを承知の上で、敢えてタイトルのような問題に触れることにする。 しばらくは、一見タイトルとは無関係であるかのようなことを記すかもしれない。 wakohはこの「トンがりさんコラム」で、欲張って(?)6つもの「連載」のタイトルを掲げてしまった。 そのうちの一つ「時事問題(についての対処の在り方)」を取り上げた場合には、この「趣味人倶楽部」の中でも、相当…
wakohは「連載」の一つとして、「社会心理学徒への道」を掲げてある。その最新回は、10月12日「社会心理学徒への道20.帰国・ICUの新米教員へ」だった。それからほぼ丸1カ月経ってしまった。1964年の時点のことである。それ以降、この「連載」に関しては、ずっと休載したままの状態が続いていた。 それからすれば、なんと半世紀以上経ってしまっている。 ところが、いまタイトルに掲げた大会は、今年1…
wakohがこの前に社会心理学徒への道を書いてから、もう1カ月以上経ってしまった。丸4年間に及んだアメリカ留学から帰国したのは、1964年7月28日だった。 4年間の間には、我が国の戦後の復興はかなり進んでいた。もう戦後ではないといった主張もされるほどになっていた。 それを象徴する出来事の一つは、東海道新幹線の開通であったろう。それから、すでに半世紀以上、その間、殆ど事故らしい事故もなく現在…
イリノイ大学留学中の4年間は、結局は主として研究・勉学(研学)に終始した感がある。 wakohはそう旅行が好きだったわけでもないし、時間的な制約が大きかったし、経済的にも余裕があったわけではないし、はじめは一人で留学したのに、帰国までには家族は4人に増えてもいた。だから、アメリカ中を旅行して回るなどとは想像もできなかった。 だからと言って、大学の中に籠りきりだったわけではない。時には、招か…
4年間にわたったイリノイ大学大学院での研究・勉学は、幸いPh.D.の博士学位号を授与される形で終えることができた。しかし、これは終わりではなかった。次の段階への門出であった。 実は、既に1963年晩秋には、恩師岡部弥太郎先生の格別のご高配の故であったろうが、国際基督教大学では、専任講師としての着任が確定していた。今まで、このことは一度も口外したことはなかったが。もちろんのこと、専任教員としての…