子どもの時に情操教育を受けると情操豊かな大人になるものでしょうか?
情操豊かな子女に育てようと、何かの習い事を親御さんが子供に習わせた、或いは親から習わせて貰ったというケースは多いと思います。そこで、子どもに習わせた、あるいは習わせて貰ったという実体験からのご意見を聞かせて下さい。
楽器なり、その他の芸事を習ったことにより、お子さん、または、ご自分が情操豊かな成人になり、十分教育投資をした効果はあったと思いますか?
それとも、自分の意に反しない習い事を無理矢理させられたことにより、子どもさん、または、ご自分になにかのトラウマが残り、家庭教育の難しさを感じるところがあったとかの感想をもっているとかはありませんか?
また、子どもの時に自分が経験したことが、子育ての時に、反面として大いに役に立ったとかの経験はないものでしょうか?
また、粗野で不躾に見える成人、あるいは、無趣味な成人というのは、こども時代の情操教育や家庭教育に何か問題があるからなのでしょうか?
活発なご意見を期待します。なお、Qに則さないAは削除の対象にしますのでご了承ください。
自分の経験とすると、書きにくいということのほかに、経験のあるなしに制約されますので、自分の見聞きしたことからの一般論として制約はなしにします。
お前は、どうなのだと、いう声もあろうかと思いますので、記しておきます。
育った時代、習い事?とんでもありません。食べるのが精一杯でしたから、親が子供の情操教育なんて考えなかったと思います。その後の電卓、パソコンの時代を親は予測していませんでしたから、そろばんなら習いに行けと行かされました。
それでは、親としてはどうか?楽器の弾ける子どもよりは、情操豊かとは言いませんが、豊かな生活(物質の話ではありません)を送れています。
ペンネーム:質問者 (匿名希望)さん
回答ありがとうございます。冒頭の「芸術・宗教・道徳に関する豊かな高次な感情」は、情操教育ではなく、情操の方を指しているのでしょう。
それはさておいて、「子供に対する音楽教育は”情操教育”では無い」と言われると、一般的な理解と離れて、ややこしくなりますので避けたいと思います。
絶対音感のようなものは、天性のものがなければ、磨いてもみにつくものでもありませんし、世の中にそれほど本当の意味での音楽家が必要とも思われませんので、少数の方がなればいいと思います。音大出たからと云って、すべての、または多くの方が音楽家になれるものでないことは世間も承知していると思います。
たまさんは、音楽対する思い入れが強いのですね。回答から読みとれます。