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伊集院静 の いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯 上下

★3.5 作者初めての時代小説とか。物語は赤穂藩筆頭家老の大石 内蔵助良雄(よしたか)の視点で語られる赤穂事件である。

《上巻》
大石26歳の貞享元年(1684年)、若年寄・稲葉石見守による大老・堀田正俊への刃傷事件に始まり、元禄11年(1698年)の津和野藩主が勅使饗応役を務めるまで。物語の特徴は大石が将来降りかかるかもしれない災難をあらゆる角度で想定していることにあろうか。

山鹿素行は朱子学に障る軍学を興したとしての赤穂藩お預けの9年間は、大石はじめ藩学の師としていた。その素行が大石のために、遺書を残していた。赤穂藩、備中松山藩など5万石以上の10もの藩名が記され、改易への危うさを訴えたもの。後年、その備中松山藩の改易による収城使を務めることになるのだが。幕府は新貨幣を鋳造しなければならないほど財政が逼迫し、質の高い製塩をもつ赤穂藩は裕福な藩とみられ、狙われる可能性が高い。なにかの瑕疵があれば真っ先に狙われると。

備中松山城受取りで学んだものは多い。やり手の家老との噂に昼行燈に徹し、隠し水道の検討、3人ひと組の必殺訓練などの話も。布石は次席家老で勘定方の大野九郎兵衛との意味深な阿吽の呼吸か。裏帳簿1万両の話や内匠頭に内在する癇癪癖の話も登場する。

赤穂藩は5万3500石だが、備中松山城受取りに兵2500と異常に多く、何かの間違いか。戦国期でも300人/1万石なのだから。

《下巻》
浅野内匠頭の刃傷後、赤穂城に登城した藩士300余名、それぞれの意見は紛糾するものの、共通するものは「殿の名誉を回復し、吉良には処罰を与え、浅野家を存続させる」こと。綱吉の時代に改易の藩は45家、170万石もあったとする話には驚く。浅野家再興が叶わず、おのれ柳沢吉保、おのれ犬公方!となる。

仇討ち第2陣説をとっているのは面白い。伝承通りに大野九郎兵衛らによる板谷峠での待ち伏せ作戦である。討ち入りに生き残った上野介が頼る先は米沢藩の国許に違いなく、その手前の板谷峠で討ち取ろうというもの。この地には大野のものと伝わる石碑があるらしい。

本所吉良邸討ち入りの成功を大野九郎兵衛に伝える役目は、引き揚げの途中で姿を消した足軽・寺坂吉右衛門としている。寺坂はこの後生きながらえ天寿を全うしている。
寺坂吉右衛門のもう1つの役目は赤穂事件を語る事。これが後の近松門左衛門の人形浄瑠璃「碁盤太平記」に繋がる。

浅野内匠頭の刃傷に至るの動機に新説を期待したのだがそれはなかった。常に将来を予想した目配り、気配りの大石、そして決してぶれない大石が読みどころか。
もう1つの物語は1万両の裏金で大石を支え続け、仇討ち第2陣を務める大野九郎兵衛か。

カテゴリ:アート・文化

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